mixiユーザー(id:5708563)

2016年12月15日02:54

374 view

江戸時代の村落の境界には、

■大麻所持で14人起訴=長野の限界集落に移住―東京地検など
(時事通信社 - 12月14日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4342051
「易者、芸者、学者、入るべからず」との表札があったとか。

今、地方自治体が競って主催する現代アートのイベントは、「外者、若者、馬鹿者」が盛り上げている。


限界集落は、消防団の維持どころか、ムラの日々の治安すら守りきれなくなっているということなのだろう。


都会でも田舎でも、若者層での格差の広がりが、低所得層のアイデンティーとして、「アート」を目指す若者層をふやし。

一方、国の方針として、自治体も固定雇用を減らして、「ワーキングシェア」→「ワーキングプア」層をふやす風潮のなかで。

見た目は華やかな、貧しい感性でも「なんかしたこと」になるみたいな現代アートの繁栄の中で、システムとしてのひそやかな「搾取」が進行しているらしい。

巷にあふれる、ライブハウスやスタジオで、同病仲間の中から自然発生したケアハウス仲間をファンにした、4,5人のオッカケや親類相手の学芸会は、ボウフラのように湧いている。

余裕のある自治体の中には、非行防止のつもりなのか、最近はコスプレにまで、補助金を出しているとか。


田舎のシャッター街では、「ヒトの交流」という大義名分がつけば、地元アーティストの手を借りた子どものハロウインのコスプレにまで、中味の貧しさに目をつぶって自治体は金を出し、やがて町会は支援どころか、主催までしてくる。


仕掛はどうでもよい。
「貧すれば鈍す」で、貧しい自治体が「なにか、しなくちゃ」と、なけなしの金を出す切実さも、想像がつく。

しかし貧しい大人の想像力で、子どもの創造性を発揮する場と機会だけは、せめて奪わないでほしい。
子どもは、見渡す限りの荒原といった、どんな貧相な環境ででも、タイミングさえ合えば、創造性の芽を育てる力をもっている。


限界集落でも、ヒトとの関わり方は、同じことでないのか?

認知症は、環境がかかわる部分が少なくない。


今回の事件の主犯者たちは、TVニュースでは、集落に溶け込もうとしていたと伝えられている。

TV報道だから、話半分にしても。

やさしい大麻仲間の、単なる偽装なのか?

ヒトとの関わりは、時々は襟を正すりタイミングを失うと、ズルズルになるんだよね。

ヒトとの関わりに、想像の悦びを見つけ出せなかったことが大麻常習につながったとしたら、それは「アート」ではないな。


自分の中の「アート」をそだてるのに、初めはみな素人なんだから、無知も未熟も関係ないから。

怖いのは、自分を誤魔化すことなんだよね。


酒を使って国宝やっ重要文化財の山水画を描いた江戸の絵師の展覧会を、昨日今日と、2日連続で見てきたけど。

彼にとって、酒は、絵具や筆と同じ、道具だったんだよね。






0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する