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2016年12月08日20:14

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関大、軍事研究させません 防衛省補助金への応募認めず

■関大、軍事研究させません 防衛省補助金への応募認めず
(朝日新聞デジタル - 12月08日 07:36)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4331298

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防衛省が大学などでの研究に補助金を出す「安全保障技術研究推進制度」について、関西大(大阪府吹田市)は7日、教員の応募申請を認めないとの方針を決めた。国内外の公的機関や民間企業からの軍事目的を前提とした研究費も受け入れないという。

 関大によると、すでにある大学の研究倫理規準で「人間の尊厳、基本的人権や人類の平和・福祉に反する研究活動に従事しない」と定めており、ルールを明確化したという。方針は、(1)制度への応募申請に加え、他大学の申請に共同研究者として参加することも認めない(2)軍事防衛を所管する公的機関からの研究費は受け入れない(3)企業からの軍事防衛目的の研究費を受け入れない、とした。

 防衛省は昨年度、民生用と軍事用のどちらにも利用できる研究について、大学や国の研究所に1件最大3千万円を3年間支給する制度を始めた。2015、16年度で計19件が採択された。制度をめぐっては、軍事研究を禁じてきた日本学術会議がその方針を転換するかどうかの議論を続けている。
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当然だが、人類の平和を追及するならば、戦争について学問することは避けられない。果敢に研究を続ければ、戦争に勝利する鉄則が見つからるかもしれない。

隣国を合法的に征服する方法や、国家を乗っ取る方法が見つかるかもしれない。

実際、そういう研究の果てに、人類は核兵器を手にしたわけである。

ゆえに、そういう研究を続けてゆけば、おのずと自らを律することを要求される。それができないものは初めから手を出さないのがよい。

だが、自ら律することもできぬものが、そういう研究に邁進する危険性もあるわけである。かなりあやういバランスの中に今の世界があるのは自明である。

明日、どこかの都市で核爆発が起きても、不思議はない。

戦争への取り組みをどのように考えるかは自由であるし、実際、軍事研究のほどんとは科学基礎研究から工学系と思われているだろうが、戦争とは総合力である、という一点に注視するならば、いかなる研究も戦争に使われないはずがない。

よって軍事費を使いたくないという気持ちはわかるが、それは直接的に参加はしないが、間接的には構わない、というのとあまり違わないのではないか?という話もある。

しかし関西大学の前身に手塚治虫のおじいさんが関係していることを初めて知った。基本的に法学部から始まった大学であるとの話だ。

そういう伝統からも、国と距離は置きたいというのがあるのかも知れない。おそらく人文系に対する予算は、理工系と比べれば少ないであろうし、そういう所も読み切ったうえでの表明ではないかと思われる。

国と深く付き合うと最終的に損をするのは民間である。これはたぶん、真理だと思う。国の人たちは簡単に逃げ切りを図るからである。彼らには逃げる場所が最後まであるからである。

国家と警戒しつつ付き合うという事はある意味では困難であろう。先の戦争の恨みつらみを今も持ち続けているのは海運業の人たちだけではないはずである。

いずれにしろ、自分を律する自身がないなら、避けるのが吉。そして己の律し方について研究するのは、人文系であろうと思われるわけである。

だが、予算縮小の中にあって、自ら資金を集め大学として成り立たせようとするのは、困難の道である。おそらく日本という狭い世界にとどまっていては不可能である。

もちろん、戦争は嫌だ、のそのあとの言葉が陳腐であるような大学では世界の衆目を集めることなど無理であろう。

模索しろとしか言いようがない。
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