mixiユーザー(id:6445842)

2016年12月07日16:28

467 view

ドイツ人神父が見た真珠湾攻撃直後の日本

---------------------------

−−昭和十五年の九月に日本へお帰りになって、翌年の十二月には真珠湾攻撃ですね。そのことは新聞でお知りになったのですか?

ロ師 いえ、その日は一時間目、八時十五分から授業のある日でした。一号館の一番上の教室にたどりつくと、その前にいた一人の学生が心配そうにやってきて、「これから、どうなるんでしょう?」と小さな声でいうんだね。

 ちょうどその前日、NHKのドイツ語担当で下関以来の友人、山崎省吾氏と話したばかりだった。「そうですか、戦争になるでしょうか?」という彼に、「願わくばならないように祈ります。戦争がヨーロッパだけですめば、日本人は大いに助かりますよ。多分そうはならないでしょうが・・・」などと私は答えた。だから、その学生にも同じような答えをした。そうしたら彼は驚いて、「いや、もうそうなったんですよ、先生!」と真珠湾のニュースを教えてくれたんです。

−−よくもそんな重大ニュースをその時まで知らないですませられたものですね。

ロ師 できるだけ政治やニュースに触れないようにと、先輩の神父たちから注意されていたし、ニュースを話題にしないように、その日の新聞は夜になるまで読まないことにしていたからね。その時まで知らなかったというのも恥ずかしい話だが、本当に教室の前で初めて知ったんです。

−−学生のいったことの意味がすぐにおわかりになりました?

ロ師 わからなかった。真珠湾のことを“Pearl Port”とかいっていたが、それがどこにあるのかわからなかった。自室に帰って、『ニッポン・タイムズ』をひろげてみて、初めてハワイのパール・ハーバーだということを知ったんです。

−−どんな感想をお持ちになりましたか?

ロ師 これは武士道だと思ったよ。 

−−武士道?

ロ師 侍のように、山桜のように、惜しまずに捨てる。武士道はまだ生きていると思った。自殺とか自爆とかいうことは、キリスト教からいうと弁護しにくいが、その精神は尊敬に値しますよ。こんな小さな国で、あれだけの大国を敵にして戦い、敵の海軍に大きな損害を与えたというのは大したことだよ。でも、この戦争は勝てない、と思いましたね。

−−国際法に違反した卑劣な闇討ち、とアメリカ国民は受け取ったわけですが、その時の先生のご意見は?

ロ師 宣戦布告なしの攻撃は、国際法などから見れば賛成できないでしょうが、忘れてはならないことがある。たとえばドイツも第一次大戦で、中立国だったベルギーに無断で侵入したことがあります。フランスへ進むために通過したのです。その行為を盾に、何十年間もアメリカやイギリスやフランスは、「ドイツ人らしい無法行為だ」「ドイツ人は正義も道徳もない野蛮人だ」「彼らは全世界を占拠しようとしている」、などと非難し続けた。だが、彼らがやった多くの卑劣な行為に較べたら、ドイツのベルギー侵攻はそんなに悪いことだったろうか?真珠湾攻撃も、道徳的見地からは弁護し難いだろう。しかし、「汝らのうち、罪なき者、石を投げよ」ともいえますね。

−−政略の点からいうと、実にまずいことをやってくれたものですね。

ロ師 真珠湾が引き金になって、大国アメリカを全面戦争に巻き込んだのだからね。真珠湾までアメリカはヨーロッパの戦争に対しても中立を守っていたのだ。こうして第一次大戦同様、ドイツ対世界の戦争になり、またしても、“悪いのはすべてドイツ”ということになってしまった。

−−ドイツがすべて悪いのではない、とおっしゃるのですね。

ロ師 第一次大戦と第二次大戦は違う。第二次大戦のヨーロッパ側はの責任はドイツにあると思う。95パーセントまではね。しかし、第一次大戦はそうではなかった。太平洋戦争においてはね、日本だけの責任ではないよ。日本はいろいろやってみたが、何もできなかったという感じだ。絶望的な一隅へ英米の勢力によって追いつめられた結果だったからね。ただ、真珠湾攻撃は、政治的に見ると失敗だった。私は「悪い」というより、「まずい」といいたい。それに、真珠湾がまければ、ドイツは勝っていたかもしれません。

ロ師 アメリカが参戦しなかったら。アメリカ国内の中立主義は、ヒステリックといっていいほど強かった。そのアメリカを戦争に引きずりこんだのは、真珠湾攻撃でしからね。アメリカさえ出てこなければ、ヨーロッパでドイツが勝つ見込みがあった。

−−勝ったほうがよかったでしょうか?

ロ師 いや、負けてよかった。ヒトラーはスターリンのようになっただろうね。テロで始まったものはテロで終わる。

−−日本も負けたほうがよかったと思いますか?

ロ師 日本の軍人は教養がたりなかったし、歴史意識が欠けていて狭量だった。日本人のもっているのんきさ、妥協好きの性質とは合わないところがあった。軍の支配が長く続いたら、日本の国民性のいいところは全部失われてしまったと思いますよ。外地ではレジスタンス運動がひろがっただろうし。ただ、明治維新以来、富国強兵の政策を取らなかったら、日本は他のアジアの国国のようにヨーロッパの植民地になる可能性もあった。

−−日本人の国民性は軍国主義とは合わないとおっしゃるのですね?

ロ師 もちろんです。地理的条件はあったにしても、これほど戦争を避けてきた国はちょっとないよ。今世紀以前では秀吉の朝鮮出兵くらいしか思い浮かばない。前にもいったように、ドイツもそうです。ドイツ人も日本人のようにむしろおとなしくて勤勉ですよ。

(ヨゼフ・ロッゲンドルフ/加藤恭子『和魂・洋魂』(講談社・1979年)60〜64ページより)

http://www.amazon.co.jp/%E5%92%8C%E9%AD%82%E3%83%BB%E6%B4%8B%E9%AD%82%E2%80%95%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%80%83%E5%AF%9F-1979%E5%B9%B4-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E6%81%AD%E5%AD%90/dp/B000J8ELDA/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1424400124&sr=8-1&keywords=%E5%92%8C%E9%AD%82%E3%80%80%E6%B4%8B%E9%AD%82

ヨゼフ・ロゲンドルフ(Josef Roggendorf) 1908年、ドイツ生まれ。ギムナジウムを終えてからイエズス会に入り、ドイツおよびフランスの神学院で哲学・神学を学ぶ。1934年、司祭に叙階。1935年から37年まで日本語研修のため日本滞在。さらに37年から40年まで、ロンドン大学で比較文学を専攻。その後再来日し、旧制広島高校で一年間教鞭をとったあとは、戦中・戦後を通じて東京四谷の上智大学構内に住み、教授として比較文学を講じてきた。著書に『キリスト教と近代文化』『現代思潮とカトリシズム』(弘文堂)などがある。

加藤恭子(かとう・きょうこ) 1929年、東京生まれ。早稲田大学仏文科卒業後、渡米。ワシントン大学、フランスのナンシイ大学、ジョンス・ホプキンス大学院などに学び、通算十四年に及ぶ外国暮らしを体験。現在は、上智大学講師。『アメリカへ行った僚子』(朝日新聞社)『こんなふうに英語をやったら』(中央公論社)など多数の著書・訳書がある。

(本書カバーの著者略歴全文)

----------------------------
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する