「優先席譲れ!」で大炎上 けしからんのは若者か老人か
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4329415
記事の若者と老人のやり取りを読んでいると、どっちもどっちという気がする。
それぞれが自分の立場で以て、その権利を主張しているだけだ。
譲られる側の人間を社会的弱者なんてレッテルを貼るから、こうやって反感を持つ人が出てくるし、そのレッテルを利用して、高圧的に人の善意を要求してくる人も出てくる。
相手の立場を考えず、自分の立場だけを主張する人間は、所詮、自分のコトしか考えられない、自己中心的な人間だ。
この若者にしても、老人にしても。
きっとこの老人は自分が優先席に座っていて、目の前に自分より体調が悪い人や、自分より高齢の人、妊婦さんがしんどそうに立っていたとしても、自分だって高齢者だし、譲られる側の人間だ、社会的弱者なんだという顔をして、席を決して譲ろうとしないのではないだろうか。
それが、自身がけしからんと批難し、席を譲れと命令した若者と同じ思考だということも、気付きもせずに・・・。
記事で若者を批難する作家だってそう。
所詮は、自身が置かれた立場でしか、世の中を見ていないから、こういう発言になる。
それは、何度もいうように自分のコトしか考えられない、自己中心的な考えだということ。
以前、似たような話題で日記を書いたコトがある。
もし、自分が満員電車に乗っていて優先席に座っていて、目の前に、高齢者の方、小さな子供を連れた方、身体の不自由な方、妊婦さんが立っていたら。
僕は先ず、最初に妊婦さんに席を譲ろうとするだろう。
と、いうような主旨の日記だったような気がする。
これは勿論、もしもの話。
こんな状況はそうそうあるわけでない。
それぞれの方が個別に立っていたら、その人に席を譲ろうするし、別に高齢者や小さな子供を連れた方、身体の不自由な方には席を譲らない、という話ではない。
優先座席ということで、仮にその優先順位をつけるとするならば、いう主旨で日記を書いた。
何故、僕がその中で、妊婦さんを優先順位の一番に置いたかというと、満員電車の中で、不測の事態が起こった時に、妊婦さんだけでなく、お腹の子を含めた命の危険があるのが、妊婦さんではないかと思ったからだ。
もしも満員電車の中で、電車が揺れて、その女性が転んでしまったとしたら。
ギュウギュウ詰めの電車の中で、転ぶまではいかなくとも、誰かにお腹の押し付けられたりしたら。
それは、すなわち赤ちゃんの命にも関わる事故になりかねないし、ひいては電車の安全な運行を妨げる事態にも成りかねない。
だからこそ、僕は自身の中の優先順位で、妊婦さんを一番に置いたということだ。
勿論、この優先順位は、人によっては違うだろうし、それはそれで構わないと思う。
だって、席は優先座席だけではない。
席は電車内に一杯あるのだ。
わざわざ若者の前に行って、席を譲れと強制したり、命令したりする話でもない。
譲りたいと思う人が居て、その人は譲れば、それで済む話。
それが譲り合いというものではないだろうか。
そういう主旨の日記を以前、書いたことがあったのだが、それでも自分は障害者だと名乗る女性から、僕が妊婦さんを優先順位の一番に持ってくるのは、不謹慎だ、けしからんとコメントで批難してくる人がいた。
聞けば、自分は障害者だから、障害者の気持ちが良く分かる。
障害者だって、電車の中で立っているのは辛いし危ない。
なのに、僕が日記内で、こういう妊婦さんを優遇するような日記を書くのは、不謹慎ではないか、という話だった。
でも、それは違うだろう。
貴方は、結局のところ、障害者である自身の立場で以て、その立場を主張しているだけ。
自身の立場でしか、世の中を見ていないから、そんな発言になるのだ。
それは、結局のところ、自分のコトしか考えられないということ。
同じ障害者の気持ちを慮っているようでいて、結局は自身の立場に置き換えて、それを主張しているだけだ。
何度も言うが、席は優先席しかないわけではない。
一杯あるのだ。
貴方が障害者を優先順位の一番にしていて、自分よりしんどそうな人がいたら。
そして、その人に席を譲りたいと思ったら。
席を譲ればいいだけの話。
そもそも優先座席なんて言い方が誤解を招く。
本当に世知辛い世の中になったものだ。
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