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2016年12月06日09:22

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12/3 ケインズ学会のメモ

12/3のケインズ学会のメモ
全般的な要約じゃなくて、ボク自身の印象に残った部分を中心にまとめたメモです。

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12月3日(土)ケインズ学会@国士舘大学世田谷キャンパス

     一般理論80周年記念セッション

                司会 小畑二郎   立正大学

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吉川洋    立正大学
  『一般理論』刊行80年――新古典派理論との相克
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自然科学〜経済物理学の視点からマクロ経済学のあり方を考える。
経済学は自然科学の影響が大きい。
原初の経済学はマクロ経済学だった。
ウィリアム・ペティやケネーが外科医だったのは偶然ではない。

ワルラスは株式市場をヒントにして一般均衡理論を考案した。
これはマクロのモデルであり、美しいが悪いモデル。
株式市場のモデルを、マクロ全体に当てはめた。価格の役割を重視しすぎ。

19世紀末から統計の整備が進んだ。
1920〜30年代。ティンバーゲンやクープマンが国際連盟で実証研究を進め、エコノメトリクスの起源となった。2人とも物理学者。

1936年の「一般理論」で、ケインズ経済学がマクロ経済学になる。
「マクロ経済学」という名称が一般化するのは50年代。サミュエルソンの教科書でも初期の版では「income analysis」という言葉を使っていた。

サミュエルソンの「新古典派統合」で、経済学は二刀流になった。
マクロはケインズ、ミクロは新古典派。

1960年代後半から、ほころびが出てくる。
新しいマクロ経済学のキーワードは、マクロ経済学のミクロ的基礎づけ。
RBC、フィナンシャル・クライシス・モデル、DSGEなど、全部同じ。
しかし、マクロな現象をミクロの最適行動で理解しようとするのは意味がない。
ミクロの論理は「うまくいく」で、マクロの論理は「うまくいかない」。
ミクロでマクロを説明できるわけがない。

統計力学では、マクロの分析をするとき、ミクロを無視する。
変分法のオイラーの定理。
一人一人の動き方を分析しても、車の渋滞や将棋倒しを理解できない。
マクロとミクロは別。
合理的期待は間違っていないが、それが当てはまるのはミクロユニバースに過ぎない。

数年前にノーベル賞を受賞したジョブサーチの理論は、経済全体の賃金を元にモデルを作っている。実際の求職者は、地域、学歴、性別、職種などが制約条件になるのであって、経済全体の賃金など知らない。
今のマクロモデルは、「代表的個人」がマクロの共通の制約条件をシェアしていることを前提にしている。しかし、例えば日本経済を制約条件にしている経済主体など1人もいない。例えば、日銀の当座預金の金額を知っている消費者・経営者はほとんどいないのに、それを制約条件にしているモデル作っても意味がない。
ただし、消費税の増税はすべての経済主体の制約条件といえる。

マクロの分析には、統計物理の方法が有効。
物理学の学会誌には経済物理学の論文が掲載されているが、それに比べて、経済学界は閉鎖的。

ニューケインジアンも、価格が動かないから上手くいかないと考えている。ワルラスのモデルように、価格が動けば上手くいくと考えている。
価格が動けば上手くいくなら、デフレを加速させれば上手くいくという話になってしまう。

(アベノミクスについて聞かれて)
伝説の教授に聞いてくれ。
「マイナス金利」が流行語のベストテンに入ったのは、ネガティブな意味だと思いたい。
ただ、首相がやるべきとじゃないが、賃上げ要請することは、正しい方向性。

――意欲的かつ刺激的な内容で、この日の講演の目玉と言えるのですが、こうしてメモにまとめてみると、実際問題としてはどうなんだろう、という疑問もわいてきます。インフレターゲット政策なんかはそれなりに成果を上げているわけだし、ミクロ的基礎に問題があっても、実用に耐えうるならそれでいいんじゃないかと……。
経済学に対するよくある批判に、「合理的個人」なんて想定は非現実的だというのがありますが(西部邁など)、非現実的な想定でも実証に耐えられればそれでOKというのが、モデル思考というものでしょう?
ちなみに、質疑応答では、吉川先生に「とても興味深い」と質問が集中して、司会者から「吉川先生以外のお二人にも質問はありませんか」という要望が出る始末でした。(笑)

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間宮陽介   青山学院大学
  ケインズ『一般理論』の表と裏
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大学院2年の時に、宇沢先生の演習の第1回で「貨幣とは何か」と質問されたが、学生に答えられるわけもなく、数分で授業が終わり、第2回目以降もなしだった。それがきっかけで、貨幣について、何十年も考えることになった。

「一般理論」には表と裏がある。
IS-LM理論みたいなことを言うだけなら、投資理論、消費理論、利子率理論など、3〜4章もあればで十分。その他の20章くらいは必要ないじゃないかと思った。しかし、よく考えてみると、残りの方が重要なんじゃ泣かいと思うようになって、裏世界を歩むようになった。

裏では、経済の哲学的考察が論じられている。
経済学の土俵に乗るために、哲学の部分を陰画のように書いた。

 1.財産の質が、物権(モノ持ち)から債権(カネ持ち)へシフトしている。
 2.経済学はプロセス利潤で考えるが、経営者は期間利潤で考えている。
 3.決断と慣行
  人は論理的に「考える」ことはできるが、論理的に「行動する」ことはできない。
  ケインズの「期待」は、「合理的期待」ではない。

 4.「不確実性」+「やり直しがきかない」=「長期期待」を形成
  証券市場が、投資物件の再評価(やり直し)を可能にし、その結果、長期期待が不安定化する傾向を高めるようになってしまった。
(ネットが普及して情報伝達が便利になった分、デマが拡散・肥大化しやすくなったという議論と似てますね)

 5.ケインズの考える貨幣
  〜不確実かつ覆水盆に返らずの世界において、人々が時機・好機を待つための手段。投資や消費の決断を回避するための手段という意味で、いわば「不活動の手段」(通例の理解では 貨幣は活動を促す「活動の手段」)

 6.ケインズの表と裏を反転させるとヴェブレンになる。

―― というか、間宮先生がヴェブレン的な視点でケインズを読んでいるだけなんじゃないかという気もします。(^^)v
ちなみに、事前公開・会場配布されたレジュメには抜けが何ページかあって、学者の先生は事務能力に問題あるという一般的傾向を、改めて実感しました。(笑)

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平井俊顕   上智大学
  『一般理論』に「本当に」書かれていること――テクストの読み込みからの問題提起
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「一般理論」のテキストに立ち戻って、何が書いてあるのかを検証する。
ただ、ケインズが悪いのか、平井先生が悪いのか……、話の内容がよくわかりませんでした。
そもそも、話があちこちに飛ぶので、レジュメに沿って話しているのかどうかも、よくわからなかったという……、これは平井先生の問題かな。(笑)

印象に残ったのは以下の4点。

1.ケインズが考える市場経済=資本主義経済は、
 「不」完全雇用の状態で均衡=安定する傾向があるが、
 と同時に、その安定が崩壊してしまう脆弱性を抱えている。
 (ケインズの安定は不完全雇用であり、完全雇用は人為的・政策的に実現されるもの)

2.ケインズは「雇用の一般理論」を作る際には、あいまいな概念を用いないという理由で、国民分配分、実質資本ストック、一般物価水準といった概念を排除し、基本概念として、貨幣価値額と雇用量(賃金単位)のみを採用している。

3.ケインズはあらゆるところで、複雑性、多面性、相互連関性を強調している。
安定性の話をしているときは不安定性を強調し、不確実性の話をしているときは慣習を強調する――というような書き方。

4.精密な理論が必要だとしつこく書いているが、必ずしも精密な内容とは思えない部分が多い。ケインズの数式は、モデルとして完成していない。ケインズが数学的モデル〜数理経済学を否定するのは、数式では、複雑でデリケートな相互連関を表現できないからだと思われる。

――以前、安田洋祐さんがネットで、ミクロ経済学はすでに成熟していて、めぼしい理論は出尽くしたと書いていたのですが、マクロ経済学に関しては、成熟にはほど遠いという印象ですね。ボクが若い頃に読んだケインズ経済学の(新古典派統合風の)解説は、ほぼ否定されているみたいだし、ニューケインジアンの理論もリーマンショックを説明できなかったわけです。でもって、いまだに「一般理論」はよくわからないという議論にとどまっているという。
あと100年もすれば、吉川先生が推奨する経済物理学がマクロ経済学の主流になっているのかもしれないですが、ボクたちはそれを見る前に死んじゃうわけですよ。
ただ、ケインズという人は、(性格は小池百合子の10倍くらい悪かったけど、)人間行動の本質を深く考察していた――ということはよくわかりました。間宮先生の「3」とか「5」の話は特にそう。

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