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2016年12月04日18:52

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ぷよぷよ娘は蕎麦好き

 親戚のぷよぷよ娘は2歳とか3歳の時からざるそばが好きで、器用にお箸を使ってずるずる音をたてながらそばを食っていました。余りにもお蕎麦が好きなので、一番行きたい所は盛岡です。盛岡でわんこそばが食べたいそうです。こんなだから親父は田舎ぽくって可愛いと言っています。



ヌーハラ考 日本人の麺の食べ方がヘタになっている面もある
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4325380

麺を食べるときに、周囲に不快な音を立ててすする「ヌーハラ」が話題になった。日本では例えばイタリアのように麺をすするときに無音でなければならないというマナーはない。だが日本人はみな麺をすする音を気にしないのか。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が指摘する。

 * * *

 先月、「蕎麦やラーメンをすする音は、外国人にとって不快であり、ハラスメントである」という「ヌードルハラスメント」──ヌーハラが話題になった。テレビの情報番組などがとりあげたことで話題になったが、このネタ自体はいわゆる”ヒマネタ”として消費されるレベルの話だ。ことの経緯は以下の通り。一般に認知されていない種類の「ハラスメント」をツイッターの1アカウントが「今まで製麺業界の圧力で隠匿されてきたヌーハラを暴きます」と提唱。そのツイートをニュースサイトが取り上げた記事が新聞のサイトに転載され、情報番組が放送する。絵に描いたようなメジャーメディアへの拡散が起きたという構図だ(経緯は「ITmediaビジネスONLINE『「ヌーハラ報道」に、目くじらを立てる理由』が詳しい)。

 上記記事では著者の窪田順生氏が「デマが起きる構造」について言及しているが、本稿では「『ヌーハラ』がそこまで拡散した理由」について、もうひとつ指摘しておきたい。それは「現代日本人が麺をすする音が不快だと感じる日本人は一定数いる」という事実である(11月30日、中国メディア「今日頭条」も「実は日本人自身もこれらの問題について意識している」と指摘したという)。

 もし日本人全員があの音を「快」だとするなら、今回の騒動はここまで拡散しなかったはずだ。特にソーシャルメディア上では「賛成」「反対」のどちらか一色に塗りつぶされるような言説は一瞬盛り上がるものの、鮮度落ちも早い。賛否がわかれるネタのほうが長く話題になり、結果としてニュースサイトやテレビなど、他メディアへと展開されるケースが多い。なぜ今回、「ヌーハラ」騒動がテレビにまで拡散したかというと、あの音を「不快」だと思う人が一定数いたからだろう。

 そこで考えたい問題がもうひとつある。「麺をすする音」の定義である。果たして誰もが同じ音を想起して「快」「不快」を論じているのか。

 否、である。

 僕自身は他人が麺をすする音について、特に気にしてこなかった。ラーメン屋でも蕎麦屋でも音を立てて麺をすするのは当たり前だと思っていたし、自分も音を立てて麺をすする。それもできれば格好よくすすりたい。だから「ザッ」と一気に短くすする。イメージとしては竹ぼうきで小さな砂利を掃くときの音に近いかもしれない。ちなみに、やたらに轟音を立てるのも気がひけるので音はやや小さめだ。

 ところが最近、蕎麦屋やラーメン店で「ズゾズズズ……ゾゾーッ!」というように長々と麺をすすっている人がいる。そういう人に限って音を立てるのを良しとしているのか、すする音量も大きい。アレは確かに不快だ。日本人の麺の食べ方がヘタになっているような気すらする。

 「麺をすする」というのは非常に個人的な行為だ。家庭でも伝承されて来なかったろうし、「音を立てる/立てない」という個人の趣味・嗜好にまで踏み込む以上、もちろん学校などの教育の現場でも教えられることはない。そうして今日も「ズゾズズズ……ゾゾーッ!」という音はラーメン店や蕎麦屋にこだまする。

 すする側がどんなに「粋」だと思っても、不快だと感じる人はいる。ましてや、麺好きですら嫌悪するような音は、「さもありなん」というマインドの形成に一役買う。概念としての存在も確認できない「ヌーハラ」の既成事実化には、度を越した不快音も一役買っていた。「ヌーハラ」というよくわからない言葉を見かけるたびに、そんなふうに思えて仕方ないのだ。

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