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2016年12月02日23:01

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http://www.kanaloco.jp/article/70041/cms_id/76481中国の女性達を強姦し続ける日本兵に私は避妊具を配った歴史を誤魔化し続ける日本慰安婦は確かにいた私が証人

慰安所設置調達迄した中曽根康弘に大勲位授与

中国朝鮮をアヘン漬け奴隷、性奴隷にしてきた阿片資金に更に偽装不正選挙で政界巣喰い高江少住民暴力基地強行安倍麻生と親戚の天皇。

末期国

象徴不適。悪辿れば天皇行き着く今度こそ隣国許さず天皇制廃止

【驚愕国】元総理中曽根康弘土人女を集め慰安所開設自ら慰安所設置積極関与慰安婦調達防衛省戦時記録有軍部脈々https://v.gd/hjnYbM

元総理慰安所指示https://v.gd/KA8k9B

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  1793 英国の東インド会社が「アヘンの専売制」を導入
  1878 英国が中国の植民地およびインドでアヘンの登録制を導入
登録したもののみがアヘンを購入できる
(台湾の「阿片漸禁策」と同様にアヘンの消費を抑制するとしたふざけた主張)
明治12 1879 アヘン専売法
明治27 1894 日清戦争が開始
日清戦争中、日本はアヘンで多大な利益を得る
明治28 1895 日清戦争が終了 (下関条約)
台湾が日本の支配下
中国との通商条約で日本がアヘン戦争の勝利国と対等の立場 (不平等条約)
(日本も中国に阿片を持ち込めるような条約)
明治31 1898 後藤新平が台湾総督府民生長官
阿片漸禁策 (1878 年に英国が植民地で導入した方式と類似のもの)
見かけ上の論理とは別に単に麻薬で儲ける政策
明治37 1904 日露戦争 (1904-1905)
(軍票の使用開始)
明治38 1905 桂・タフト協定
(米国がフィリッピンを手に入れ日本が朝鮮を手に入れるための秘密協定)
日露戦争が終了 (ポーツマス条約)
日本が朝鮮を保護国化
明治39 1906 南満州鉄道 (満鉄)、日本の会社
(日本が恒久的な麻薬ルートの確保)
中国がアヘン撲滅運動開始
英国と中国間にインドのアヘンの持ち込みを停止することを目的とした協定を締結
明治43 1910 日韓併合
明治44 1911 英国と中国間に二度目の協定(インドのアヘン持込の段階的停止)
辛亥革命
大正元 1912 ハーグにおける万国阿片協定
大正 2 1913 英国によるインドから中国へのアヘンの持込が事実上終了
この頃、ヨーロッパのモルヒネが日本により中国及び朝鮮に持ち込まれる
英国のモルヒネはインドのアヘンを加工したもの
大正 3 1914 第一次世界大戦開始
青島占領 (日本が麻薬ルートの確保)
朝鮮でアヘンが禁止 (朝鮮はモルヒネ化)
この頃台湾にモルヒネ工場
大正 4 1915 対華21ヶ条要求
(この結果、ドイツが山東省に持っていた権益を日本が継承,
また日本人が南満州で自由に往来する権利と、工場などを作る権利を確保
麻薬の密輸に好都合となる)
大正 6 1917 朝鮮にモルヒネ工場
朝鮮のモルヒネが満州を経由して大量に中国に持ち込まれることとなる
大正 7 1918 シベリア出兵開始
シベリア出兵で日本は外満州 (極東ロシア) と内満州 (いわゆる満州) を占領
(広範囲の麻薬ルートを獲得)
台湾のアヘンの売り上げがピーク (800 万円以上)
大正 8 1919 ニューヨークタイムズの記事
(この頃日本のモルヒネが中国に怒涛のように乱入)
ベルサイユ条約 (第一次世界大戦終了)
(多くの国により万国阿片条約が批准される)
大正11 1922 シベリア出兵終了
中国へ青島返還
昭和 4 1929 世界恐慌
昭和 6 1931 満州事変
昭和 7 1932 満州国成立
星野直樹はアヘンの専売のために日本の銀行 (複数) から多額のローンを取り決める
満州国に朝鮮の麻薬の売人が大量に投入される
満州国が麻薬活動の中心となる
昭和 8 1933 リットン報告書、日本が国際連盟から脱退
日本に対する経済制裁成立せず (米国が国際連盟の一員ではなかったため)
昭和 9 1934 1934-35 年、満州におけるアヘンの栽培面積は 480 平方キロメートル、
1 平方キロメートルあたり 1.1 トン、1 年あたり 2000 万円から 3000 万円の利益
昭和11 1936 興亜院の設立
麻薬政策の一本化、内閣総理大臣が掌握
昭和12 1937 日中戦争の開始
南京占領
昭和13 1938 南京傀儡政権の設立
南京傀儡政権の下でアヘン、ヘロインなどの麻薬が大量に流通する
満州の麻薬の売人たちが大量に南京傀儡政権の領土に投入される。
昭和14 1939 里見機関の成立、(日本政府から資金提供を受ける)
里見機関は内蒙古のアヘン、イランのアヘンを持ち込む
昭和16 1941 真珠湾攻撃
昭和20 1945 日本の降伏
昭和23 1948 東京裁判

http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm



アヘン帝国の土壌

皇国史観

最初から色々な事実には気が付かないものです。 「アヘン帝国 -- 汚れた歴史」を書いていたときに、英語のページの随所に日本人が中国人を「劣等種族扱い」をしていることが 指摘されていたのですが、その本当の理由には気が付きませんでした。 最初は当時の日本人の方が多少とも現代化しているから、その理由かな... などとも 考えていました。しかし、時間がたつにつれ「皇国史観」という言葉が とても深い深層意識の中から浮かび上がってくることに気が付きました。 もうとうの昔に忘れてしまった言葉です。

「皇国史観」とはどういうものか、色々なところに説明があるでしょうが、 これは要するに



天皇は神 (あるいは現神 (あらがみ)) であって、日本は神の国である

ということです。「神の国」以外の人間は「劣等種族」なのです。だから平気で 強制的に麻薬中毒にして、絞る取るようなことをしたのです。また、こうすることこそが 神の僕 (しもべ) たる義務であり、「お国のため」なのです。

以前、アメリカで連続殺人の犯人 (serial killer) が殺人現場に



Call me God (私を神と呼べ)

というメッセージを残していたことを思い出しました。これは映画ではなく実際の事件です。 日本でもこの事件は報道されたと思いますが、このメッセージには触れていませんでした。 人を殺してばかりいると、自分が神にでもなったつもりになるのでしょうか ? 同じように



罪のない人たちを強制的に麻薬中毒にして、絞り取り立てる

ことは、神の領域に近くなるのかもしれません。 また自分たちが神の立場、あるいは神に近い立場であれば、 理不尽な行動は、より神としての自覚を与えたことになるのかもしれません。


注意
この「皇国史観」は日本人にとって、よかったものでしょうか 「皇国史観」は天皇に立場が近ければ近いほど、有利なのです。 より遠ければ、理不尽な犠牲が、より要求されます。 各地の歴史的な土木工事で、よく耳にするのが「人柱」です。 古 (いにしえ) の時代から、日本の技術力の頂点と称するものには 常に「人身御供」や「いけにえ」が付きまとっています。 「皇国史観」にもこの「いけにえ」が付きまとっていると考えるべきです。
英国の 2 度のアヘン戦争は、ビクトリア女王のときに起きています。 英国が中国にアヘンを輸出することに関して、ビクトリア女王は、 積極的に奨励した、とどこに書いてあったと思います。また当然儲けの一部もビクトリア女王に渡っていたと思います。

同じことは日本にもあてはまらないでしょうか ? 明治天皇のときに、英国と同じように日本でも 2 つの戦争 (日清戦争、日露戦争) を引き起こし、このどちらでもアヘンで多大な利益を獲得し、 それ以後は、日本によって更に多量の麻薬が中国に持ち込まれます。 上流階級 (上級士族、上級華族、皇族、天皇) は、すべて日本が中国を麻薬漬にして 儲けていることは承知していたでしょうし、またそれを奨励していたことは ほぼ間違いないはずです。 また英国と同様にそれで利益を得ていたことでしょう (無論麻薬の儲けの多くが軍費などにつぎ込まれますが、それだけで すむはずもないことは火を見るよりも明らかです)。 原動力は「皇国史観」にあります。 あるいは、むしろ中国、あるいはアジア全域を麻薬漬にすることこそ 「皇国史観」なのです。「大東亜共栄圏」という言葉もありますが、 「大東亜共栄圏」はむしろ「皇国史観」の派生事項です。


注意
興亜院を作ったのは近衛文麿であり、彼は貴族です。 興亜院は色々な機能があるように見えますが、基本的には「内閣総理大臣による麻薬取引の一元化」です。 従って近衛文麿は犯罪者です。日本語の Wikipedia の近衛文麿に「戦犯容疑」などと、たわけたことが 書いてありますが、戦犯容疑以前にただの犯罪者です。 アヘン帝国で貴族が果たした役割は極めて大きく、そして薄汚いのです。
「皇国史観」と言えば「右翼」のことを想起することが多いと思います。 この日本語の「右翼」を英語に翻訳するときには恐らく right wing (右翼) とは ならないと思います。right wing でもよいかもしれませんが、yakuza (ヤクザ) と するほうが普通だと思います。現代では日本語ではあまり「ヤクザ」という言葉を使用せずに 代わりに「暴力団」を使用するほうが多いので、結局、日本語から英語に翻訳し、 更に日本語に翻訳しなおすと、「右翼」は「暴力団」となります。


注意
英語の Yakuza は日本語の「マフィア」と同じような使い方をされ、 これは「スシ」などと同様に日常的に使用される英語です。 英語版の Wikipedia
Yakuza - Wikipedia (ヤクザ)
には、「ヤクザ」の一種として「右翼」が紹介されています。 戦前の右翼の資金源は麻薬で、また最近の右翼の資金源は「業界紙を強制的に購読させること」 にあるようですから、暴力団と考えて差し支えないと思います。区別すること自体がおかしい。
平民の場合はどうだったのでしょうか ? ある程度インテリであれば、新聞報道を信じたはずで、 よもや記事が捏造されているなどと考えたことはなかったはずです。 この「阿片帝国 --- 汚れた歴史」で紹介をした「報知新聞の社説」のような「捏造記事」があるとは 到底考えなかったと思います。 麻薬に関しては、色々な噂が飛び回っていたでしょうが、 その原動力が国家にあることに関しての直接的な認識は薄かったと思われます。

「皇国史観」の中核を担ったのは上流階級 (上級士族、上級華族、皇族、天皇)、 暴力団、右翼であったことは明白です。彼らこそが麻薬で儲けていたからです。 従って



中国、あるいはアジア全域を麻薬漬にすることこそ「皇国史観」である

ともう一度断言したいと思います。

日本の歴史の捏造 -- 皇国史観とのかかわり

日本の歴史は捏造だらけです。私は子供のときに、2 度にわたる「元寇」 (文永の役 (1274年), 弘安の役 (1281年)) で神風が吹いたから日本が救われたと、教わりました。しかしこれは嘘でした。

元寇 - Wikipedia

にも、「神風が吹いたから日本が救われた」とは書いていません。しかし「神風」 に関しての日本語の Wikipedia の記述はさえないものになっています。 この件に関しては偏見を持っていない外国人の方が的確に理解しています。

http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4F/kuiper_section4F.htm

57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する。
(以下参照)


麻生の祖父:吉田と安倍の祖父:岸は

満州で、麻薬アヘンを売っていたグループの一味だ



昭和を裏で動かしていたのは麻薬の帝王。

岸信介を首相にしたのは麻薬の帝王

岸信介は第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた。

福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉
東京都知事の選挙資金を拠出する。

日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告。

日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。

岸はボスの里見からブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、教えられていた。

岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来た。

岸は「英語語学教師」ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムを通して、24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

65年、里見が亡くなると、里見の資金を岸が引き継ぐ。

その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。



麻薬帝王 里見甫(はじめ)

日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。

その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業。

里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。

「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。

米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。

ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。

中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降、英国軍部と結び付いたイラク出身のサスーン財閥の独占市場であった。

中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。

この世代交代につけ込んだのが里見。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。

その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。

この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。


日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成。

東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。

その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。

里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。




http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/796167f93683e174f73c0bd91bec4c04


http://alternativereport1.seesaa.net/article/49599920.html

2007年01月22日
自民党権力の源泉
 日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。

生活に困った日本人は、日清戦争以後、半ば日本と世界各国の植民地のようになった中国に渡り、莫大な利益を求めて中国でビジネスを行った。

 その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業であった。里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。アヘンを扱う暴力団のフロント企業に、三井、三菱といった大財閥が出資していた事になる。

中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降イラク出身のサスーン財閥の独占市場であったが、英国軍部と結び付いたサスーンは、中国大陸とアヘンの供給地東南アジアにおいて、フランス軍が勢力を伸ばし、さらに日本軍が中国大陸において大規模な侵略を始めると、少しずつその勢力範囲を狭めて行った。

中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。

 この世代交代につけ込んだのが里見であった。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。
 その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。米国全土の麻薬組織、マフィアの「統一」を果たした「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグと、日本の大物右翼、三井、三菱財閥が連携していた。この日米マフィア連合が英国麻薬業者の追い出しを行っていた。麻薬争奪戦争であった。

 アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。後進国の日本がどのようにして産業を育成したかは、これからイスラエルを建国しようとするアイゼンベルグにとって、一つのモデルとなる。
 日本政府が国営で八幡製鉄所を作り、経営が軌道に乗り、一定の時期が来ると民間に企業を「払い下げ」、民間企業、新日鉄としたその手法はアイゼンベルグによって十分に研究、吸収され、戦後イスラエルの産業復興の手法として、アイゼンベルグによって生かされる。
米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。アイゼンベルグの経営者ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。そこから日本の産業界のイスラエル人脈は延々と続く事になる。現在の麻生外務大臣の経営する、麻生セメントの親会社ラファルジュ(フランスのセメント会社)のさらに親会社がアイゼンベルグである。

 この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
これは、戦後の日本で自民党の総理大臣になる面々が「偶然」にも昭和通商で麻薬売買を行っていたという事ではなく、中国のアヘン売買で「荒稼ぎ」した里見甫とイスラエル、アイゼンベルグの資金が、戦後の日本の権力者を生み出して来た事を意味する。

 日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成であった。野党までが戦争賛成なる「挙国一致」体制の成立で、野党による与党のチェック、戦争反対の声が完全に抹殺されてしまった。
東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。

 里見とイスラエル、アイゼンベルグの麻薬資金は、戦中戦後の自民党首相の「キングメーカー」となる。
 変わった所では、この昭和通商には牧野雅広が居り、その麻薬売買の利益で息子の牧野正幸は音楽プロダクションのマキノ事務所を作り、歌手の安室奈美恵等を生み出している。(続)


http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-669.html

習主席、キッシンジャー元米国務長官と会談
(朝日新聞デジタル - 12月02日 21:29)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4323523

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