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2016年11月30日07:01

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☆☆☆【昭和 事件】 昭和57年・1982年 松山ホステス殺害事件 福田和子

【昭和 事件】






昭和57年・






1982年






松山ホステス






殺害事件 福田和子







【昭和 事件】



昭和57年・1982年



松山ホステス殺害事件



福田和子



皆さん、こんにちは!



マリータです。



訪問ありがとうございます。



今回も最近感じたことを
書きたいと思います。



今回紹介する動画は、
戦後日本を震撼させた
事件の一つ。
自分が小さなころ、
警視庁24時系の番組で、
よく観た事件の一つだ。



松山ホステス殺人事件は、
1982年8月愛媛県松山市で
発生した事件。



犯人は、福田和子。
同僚のホステスを殺害し、
山中に遺体を埋め、強盗。
何度も整形を繰り返し、
時効が成立する直前である
15年もの間、逃げ続けた。
時効成立直前の
逮捕劇による幕切れ。



殺人は許されないが、
生い立ちは哀れだと
感じました。



昭和を震撼させた事件の一つですね。



以下はwiki様を参考にします。



☆☆☆



1982年8月19日に愛媛県松山市のマンションで
ホステス(当時31歳)が元同僚の
ホステスであった福田和子に殺害され、
福田和子とその夫がマンションから
家財道具を運び去って逃亡。
家財一式が奪われたうえに、
遺体が松山市内の山中に遺棄された
強盗殺人及び死体遺棄事件である。



もともとは被害者に会うために
松山に向かったのではなく
知人に会うためであったが不在であった。



この事件で注目されたのが、
犯人の福田和子が整形手術を
受けたうえで当時の強盗殺人罪の
公訴時効である15年(延長を経て、
現在は無期限)直前まで逮捕されず
逃亡したことであり、マスコミ報道を
見た市民による通報で逮捕されると言う
劇的な幕切れを迎えたことであった。



事件当時、和子には夫と4人の子がいた。



殺害後、夫は和子に自首を勧めたが拒み、
夫も死体遺棄の共犯で逮捕された。
被害者宅の家財道具は一式、
和子が松山市内に借りたアパートに
運び込んでいる多くの目撃証言があり、
松山東警察署は強殺事件として捜査を開始した。



犯行4日後、和子は松山駅から急行列車と
宇高連絡船で本州に逃亡、15年にも
及ぶ当て所ない逃亡生活を始める。
当初の逃走資金は60万円ほどであった。



和子は早速、金沢市内で求職するも
30歳という年齢から飲食店関係に
採用されなかったが、不採用であった
スナックに飲みに行き情の深い
経営者に採用された。採用2日後、
整形手術を受けるため上京した後、
店に戻り、そこで市内の和菓子屋の
店主と知り合い交際し内縁関係となる。
3代続く老舗和菓子屋を切り盛りし、
店の売り上げも相当に伸びたという、
また親戚と偽り実子を呼び寄せ店で働かせている。



3年後、指名手配書が全国に貼られ、
和菓子屋の家族も和子の素性を疑い始め通報、
店の知人の通夜の手伝い中に
金沢中警察署員が斎場に急行したが、
それを察知した和子は自転車で逃走し、
名古屋市に向かう。市内のラブホテルで
住み込みの客室係として採用される。
しかし、たまたま名古屋の緑警察署に
運転免許の更新に行った同僚が
指名手配写真を見て、
和子に自首を勧めたため逃亡、
市内の別のラブホテルの面接を受けたが、
その際、顔写真と、雇用契約の拇印を
とられたため1988年5月13日名古屋市から
離れ福井市に現れ、求職し住み込みで
ホステスをする。1992年大阪市内の
売春宿に移るが、すぐに辞める。
松山東警察署は、公訴時効が
迫ってきていることに焦り始め、
手配写真入りのテレフォンカードの配布、
肉声の公開、懸賞金100万円という
近代警察史上前例のない捜査手法を採用した。



公訴時効まで一年の頃には再び
福井市の福井駅前のビジネスホテルを
定宿にしていた。当時の客室係の談によると、
この頃の和子は涙に濡れた枕カバーを
頻繁に窓から干していたという。

公訴時効直前の大々的なマスコミの特番が、
和子が行きつけにしていた福井市内の
おでん屋の常連客の目に留まり、
立ち寄ってきた和子の指紋のついた
ビール瓶を回収され、その後店を
出たところで逮捕された。
身柄は福井駅から岡山駅まで鉄道、
岡山駅からは自動車で
松山東警察署に移送された。
公訴時効寸前の逮捕と裁判



1982年の犯行後、
福田和子は東京へ向かい、
整形手術で人相を変え、
捜査機関からの追及をかわしていた。

その後金沢市で生活していることが
判明したが、捜査が及ぶ直前に逃亡した。
公訴時効成立を直前に迎えた1996年に
松山東警察署は逮捕につながる
情報を提供した者に対して
100万円の報奨金を支払うとした上に、
公訴時効直前には女性を整形した
病院も400万円の報奨金を出すとして、
俄然マスコミの報道が加熱していた。
そうした中で、福井市の飲食店から
なじみの客が手配者に類似しているとの
通報があり、密かに採取した指紋が
一致したために1997年7月29日に逮捕した。
時効成立まで21日前の逮捕であった。



その後、福田は15年ぶりに松山市に
身柄を送致されて取調べを受け、
1997年8月18日に殺人罪で起訴された。
公訴時効成立まで11時間前の起訴であった。



2003年11月、最高裁で福田の無期懲役が確定し、
服役した。2005年3月、くも膜下出血にて
和歌山刑務所で死去。享年58(満57歳没)。



☆☆☆

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