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2016年11月24日22:30

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琉球と鉄

ネットサーフィンした知識だけで語ってみます。

沖縄県に製鉄技術がいつ持ち込まれたかは未だに分かっていない。しかし、沖縄の北にある喜界島では12世紀の製鉄炉跡が発掘された。この炉跡は沖縄を含む薩南諸島、トカラ列島で最古の製鉄炉跡である。


---『南島史が塗り替わる 環東シナ海交易の結節点 歴史新発見 鹿児島県喜界町・城久遺跡群』---
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO90985450W5A820C1000000?channel=DF280120166609&style=1


「浦添ようどれ」の二番庭や「渡地村跡」のスラ所 (造船所)を思わせる鍛冶炉跡、今帰仁グスクの巨大炉跡、綾門大道遺跡には六基の炉跡が発見された。安謝東原南遺跡では、2基の炉跡が出土、近くの安謝東原遺跡ここからも炉跡と、羽口38個が出土している。
県内にも製鉄炉跡があることがわかる。


更に製鉄関係の人物だと西塘(にしとう)16世紀頃の歴史上の人物がいる。
1500年、オヤケアカハチの乱を平定し王府軍の総大将、大里親方にその聡明さを見出された、以後は法司の家で学問をし石工技術に長け、園比屋武御嶽の礼拝所となる石門を建築したことで知られる。1524年、武富大首里大屋子に任ぜられ、土地が狭く不便であり、石垣島に移転し公倉を建てた。


その竹富島には鉄と関係した民話や風俗が多く見かけられる。
・仲筋御嶽
八重山諸島竹富島にある御嶽「新志花重成(アラシバナカサナリ)」という神様が祀られている。沖縄本島から鉄を伝え、麦の神として崇められている。

・鍛冶工狂言
八重山諸島で有名な狂言
鍛冶によって農具をつくりだす工程が演じられる。登場人物は、鍛冶主、鞴押し、大槌打ち甲乙の計四人。

・パイフタフンタカ ユングトゥ
この八重山古謡に「大和製の大斧を、山城製の鉄斧を、荒研ぎに荒研ぎし、きめ細かに鋭く研ぎ」という一節がある。



この事から、西塘が製鉄民を連れてきたのではないかと考えられる、そして何故石垣島に移り住んだのかと考えた結果、砂鉄と川があるからではないかと結論がでる。



仮説
三山時代から中国や日本から入ってきた製鉄技術は土地の権力者によって生産され多くの鉄製品が作られた。

中山国が天下をとり琉球王朝の時代になると、官僚がその技術を継承し地方で製鉄所を作ったのではないだろうか?
鉄製品の農具が作られる事で農業生産があがったことも分かる。
明と冊封関係になり銅銭を王朝で独占する事で国内が統制できるシステムができる、まさに鉄は琉球王朝にとって必要不可欠な存在だったのではないだろうか?

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