mixiユーザー(id:61160406)

2016年11月21日01:29

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勝連城のローマコイン

新しく知識が入ってきてしまったので連稿する事をお許しください。

あるニュース記事を貼る前にちょっとした前知識を記します。沖縄は鉄鉱山がない、その性で製鉄技術は本土から来た人達が担っていた。
その性で金属製品を熔かし再利用が欠かせなかったのである。
それは銅銭も同じで、その証拠に金工工房跡から破損した銅銭が出土したりする。(1460年代までに明からの銅銭支給を停止されたが、
1471年前後には日本の堺より「積銭」のある船が頻繁に往来していたとみられるので(島津家文書) )

それらの情報をもとにこの記事を貼ります。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/63879

>■素材として入手

> 古代オリエント博物館の津村真輝子研究部長(古銭学)の話 

> 中国では隋や唐の時代の墓から、アクセサリーに加工された古代ローマの金貨などが見つかっている。今回は銅貨なので、貴重品というよりも素材としてまとめて持ち込まれた可能性がある。ローマのコインは周辺地域で造られた模倣品もあるので成分分析を進めるとともに、どういうルートで沖縄に入ってきたのか慎重な研究が必要だ。

前回、日本に売るためなのでは?と推測したが国内需要の方が強かったようにとれる。
広い地域から輸入したコイン(素材)を保管するため、または誤ってゴミと一緒に捨ててしまったかで今回の遺物が混入したのではないだろうか?
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