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2016年11月20日01:59

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勝連城ローマコインについての考え

勝連城から出たローマコインに関する自分の基礎知識

平安時代、銅の生産量の低下や国家的国内事業が減少して銭の供給が滞ってしまい、貨幣が徐々に使われなくなってしまう。

しかし平清盛などが率先して海外貿易を始めたことにより、渡来銭が流通していく、中世になると需要が供給を上回り日本全体で銭不足になる。


が、中国が元代になると紙幣を発行、更に明代では貨幣の発行が前の時代より極端に低いため南宋の銅銭を輸入するしかなくなった。

銅需要の増加に伴い、生産技術面での発達がみられ、銅精錬の山下吹が考案され、抜銀法や銀精錬の灰吹法が移入された。
銅が産出されるようになると余剰在庫を明や朝鮮に押し売りにいったり、大々的に悪銭をつくるようになる。

(銅の生産過多により16世紀の「三浦の乱」が起きたといってもいい)

さて、視点を沖縄に戻すと、15世紀に琉球王朝が誕生し明に冊封、シャムやマラッカ、ルソンとも交易をはじめた。

日本に銭を売るために南宋銭を東南アジアから買い付ける事は容易に想像ができる。
さらに、マラッカや越南はインド洋貿易でイスラム商人と交易しています。
明の海禁政策がより日本や琉球の遠方海外貿易を可能にしたのかもしれない。



※ベトナムのオケオ遺跡(1 世紀〜7 世紀)からローマコインが出土している。
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