世界の注目を一手に集めた次期アメリカ大統領選が決着をつけたとは言え、世界情勢の激動はさらに不透明な動き満載のステージに突入したようです。そんな中での今回の動画「人と争うのはなぜですか?」をまとめてみました。今この時代に、最も求められている人間のあり方は、外的なストーリーに翻弄され利用され続けてきた欺瞞に目を覚まし、「真の体験」への理解を深めていくあり方だと思います。その意味で、ルパート・スパイラの誘導的な質問による「直接体験から真実を見出す」セッションは、私たちの目からウロコを落とし、全人類の偽りの世界観を真の世界体験へといざなってくれるものだと感じています。
ウィリアム・ブレイクが言ったように、「その人が見るものはその人自身である」ということです。すべては私たちの自己から始まります。全ては私たちが自己をどのように見て、どのように体験するかによって決まります。
人間関係は潜在的な感情を浮き彫りにする
なぜ、あなたが人と争うかというと、あなたが相手を恐怖に思っているからです。あなたは、向こうの攻撃から自分を守らなくてはと感じているのです。ですから、あなたは誰かに会う以前から、あなたには深い感情があるのです。あなたの心に恐怖が浮かび上がってくる前から、その感情があるのです。あなたが関わろうとしているその人は、あなたにとって怖い存在です。ですからあなたは、自分を守らなければという気持ちを抱きながら、その人と話すことになります。
ですから、その人との会話においてなされることのほとんどは、あなたが持っているその感情を単に投影するものとなります。あなたは、相手の脅威から自分を守らなくてはならない、自己防衛しなくてはならないと思っています。驚くべきことに、実際、相手があなたを脅しているように感じてきます。それは、彼らが実際脅しているからではなく、あなたがその関係性において自分を守るという態度を出しているからです。相手は、あなたの潜在的な感情を浮上させるために現れているのです。
自分を萎縮させるか、あるいは誇張させるか
では、なぜ私たちは、人から脅かされていると感じるような潜在的な感情を持っているのでしょうか?なぜなら、私たちにはそのさらに根底に「自分たちは破壊されうる対象であり、脅かされる対象である」という感情があるからです。関係性において、私たちは「自分を萎縮させるか、あるいは誇張させるか」ということをしているのです。
ですから、私たちが関係性を持つ時は、その関係性の中で、自分を誇張させようとする方向に向かうか(あなたの場合はこれではありませんね)あるいは、自分を萎縮させないように自分を守り抜こうとする方向に向かうかのどちらかなのです。あなたの場合は、後者になります。自分を誇張させようとする動きも、自分を萎縮させないように自分を守る動きも、両方共同じ動きです。つまり、どちらも分離した自己が永存していくためのやり方です。
ですから、好ましくない相手から自分を守る必要があるという感情の根本には、「私という存在は小さくて制限があり、壊れやすいものである」という信念があるのです。「私というのはいとも簡単に壊れるし、虐待されるし、正当に扱われない存在だ」と信じ込んでいるのです。あなたはそういう存在ではありません。
すべてはあなたが自分のことをどう感じているかによる
この何もない空間をどうしたら虐待できますか?どうしたらこの空間を痛めるけることができますか?映画の中の俳優がスクリーンの機嫌を損ねるために何ができますか?スクリーンが、カップルが別れることを気にしたりしますか?スクリーンが、試合でどっちが勝つか気にしたりしますか?そんなことはありませんね。どんなことが起こっても、まったく問題はありません。攻撃から守る必要も何もありません。本質は物体ではないからです。物体だけが防衛できたり、拡大したりすることができるのです。あなたが関係性の中で繰り返し体験している争いは、他者とはまったく関係がないのです。あなたが自分のことをどう感じているか、それがすべてなのです。人生のこの状況において注意を向けるべきところは、他者との関係ではないのです。お母さんとの関係でもありません。そこではありません。注意を向けるべきところは、あなた自身の中にあるのです。
体験のなかに入り込んで本質を見出す
最も直接的で有効的なのは「本質としてのあなた」に真っ向から向き合っていくことです。あなたの本質を見出すのです。あなたでないものを向上させようと時間を無駄にしないでください。体や思考をどうにかしようと頑張らないでください。それらは後からついてくるものです。あなたの人間関係は、これを理解していくことでその副産物として次第に良くなっていきます。あなたの本質を見出すのです。私が「見出す」と言っているのは「考える」とか「そのことを話す」という意味ではありません。あなたの体験に入り込んでみるということです。
私とは、確かに「この広大なる自由な空間そのもの」なのだとわかるまで、自分の体験に入り込んでみるのです。すべての体験はこの広大なる自由な空間の中で起こっているのです。これは鈍感な空間なのではなく、すべてを知っている空間なのです。その空間に「私の思考」「私の母に対するイメージ」「隣の家の人の音」が現れているのです。これらが現れることを、すべて完璧に可能にしている空間が私の本質なのです。そこには何に対する意見もないし、好き嫌いもないし、好みも課題もないのです。人間関係から得るものも失うものも、何もないのです。「それ」を見出すのです。
質問者:問題なのは「好き嫌い」があることなのですか?
誰にとっての好きで誰にとっての嫌いなのですか?「誰」のことを話しているのですか?
質問者:私です!
本質であるあなたに意識を向ける
この自由な空間であるあなたに、好き嫌いはありません。この部屋の空間が、私たちがこの部屋に入ってくるたびに「彼女のイヤリングが好きじゃない」「彼のシャツが気に入らない」なんて思いますか?「彼女は素晴らしいわ、入っていいわ」「でも彼は嫌いだからだめ!」空間がそんなことをすると思いますか?しませんよね。その空間があなたなのです。なんでも知っている空間があなたなのです。そこにあなたの人生の出来事、好きだとか嫌いだとかが起こっているのです。好きだとか嫌いとやっているのは思考なのです。あなたではありません。思考には構わないでください。思考に意識を向けないでください。
あなたの本質に意識を向けてください。そこに「好きとか嫌い」があるかどうか、よく確かめてください。あるいは、あなたの本質は体験をあるがままに受け止める単に広がる無条件の空間なのか、それを確かめるのです。あなたがあなたの内面に見出さなくてはならないのは「それ」なのです。「それ」はものではありませんから、あなたの内面に探すのではなく「それ」自体があなたであることを見出すのです。自分自身とは「それ」なのだと知るのです。私は見せかけのことを言っているのではありません。それは、これらの物体があるのと同様に確かなものなのです。そのくらいはっきりわかるものなのです。「私の体験」を知り、「私の思考」を知り「私の感情」を知っている「それ」が私の本質なのです。でも「それ」自体が感情でも思考でもないのです。「私の感覚」「私のものの見方」を知っている「それ」。でも「それ」自体が感覚でも見識でもないのです。言い換えると、私というのは純粋に「知っているもの」、純粋な感性、純粋な空間なのです。
by ルパート・スパイラ
http://vaststillness.com/cause-of-conflict-in-relationships-rupert-spira/
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