■北海道と直結 シベリア鉄道の夢
(dot. - 10月13日 07:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4238416
松本零士と云うと、まず思い浮かべるのが『 宇宙戦艦ヤマト 』 と
『 銀河鉄道999 』 だろう。
しかし、宇宙戦艦ヤマトは、プロジェクトの途中から参加したため、その基本設定の全てに
携わったが、雇われだった為、係争では西崎義展に敗北してしまい。現在のシリーズには
名前さえクレジットされていない。
しかし、宇宙戦艦ヤマトの大ヒットにより次々と彼のマンガはアニメ化された。
その中の一つが『 銀河鉄道999 』である。
それとても、その創作のオリヂナルは、皆様ご存知の通り
宮沢賢治の『 銀河鉄道 』 と メーテルリンクの『 青い鳥 』である。
しかし、ヒロインのメーテルという女性は何故、いつもロシア風アストラハンの帽子
(※パパーハ/Шапка-ушанка:シャープカ)を被っているのだろう?
お考えになったことはなかったのだろうか?
もとより松本零士は、福岡県久留米市出身。
東の石森章太郎、西の松本零士と謳われるほど、の才能で
奇しくもコノ二人、松本と石ノ森章太郎と同じ年月日に生まれる。
二人は同時期に練馬区に在住し、同時期に手塚治虫のアシスタントを務めたことがあり、
松本は石ノ森のことを「旧友」と称している。
後の仮面ライダー、サイボーグ009、戦隊モノ SFの大家 と
ヤマト、999等のスペースオペラSF の 昭和を代表する大家となり、
終生ライバルでもあった。
松本零士は、上京して『 男おいどん 』を連載するまでは、当時の国鉄九州
(※現在のJR九州)小倉・門司管区の線路っぱたに家があり、その幼少期の大半を
そこで過ごした。今でも自他とも認める鉄ちゃんであるという。
銀河鉄道999号自体のモデルは、言わずと知れたC-62、
通称「貴婦人」と呼ばれる名蒸気機関車であるが、、
ある時彼は、雑誌だったかTVだったかの取材に答えて、こう云っていた。
『 子供の時分、線路っ端のボロ家に住んでいて、、近所には当時の国鉄マン、の社宅
というか、長屋みたいな家も多くあって、機関車の話をしてくれた。戦後まもなくの頃の
国鉄九州の鉄道マンの多くは満州からの引揚者で、大半は大陸で『 満 鉄 』の仕事に
従事していた。 大陸の話や満州の話をたくさん聞いた』 のだそうだ。
【

当時の奉天にあった満鐵本社ビル】
その中に『戦前・戦中と大陸には、当時の国鉄特急つばめ号の約2倍のスピードで
廣野を疾駆し、現在の新幹線のような完全密閉・空調装置を備えた夢のような超特急 』 が
存在していたと、旧満鉄従事者達が口をそろえて懐かしがっていたのを聞いた。
その名も、 『 満鐵 超特急 あじあ号 』
コレがもう一つの 『 銀河鉄道999 』 のモデルであると・・・
【

当時の満鉄PRフィルムとあじあ号の雄姿】
実は、満鉄あじあ号は、現在の『 新幹線 』の祖先でもあり、
戦中の 『 弾丸列車構想 』 を経て、現在のJR各社の新幹線へと
連綿と血脈が繋がっている。
なにしろ、当時の新幹線計画の生みの親である十河国鉄総裁や設計の島秀雄氏らは
満鉄出身であり、それに零戦の開発者や技術が注ぎ込まれ現在の新幹線になった。
【

戦中の弾丸列車構想】
1934年(昭和9年)11月1日から運転を開始した「あじあ」は公試最高速度130km/h、
大連 - 新京間701kmは所要8時間30分で営業用表定速度は82.5kmに達した。
※一説には非公式ながら区間150km〜160km/hも出せたという。
これは、当時日本の鉄道省で最速の特急列車だった「燕」(最高速度95km/h、表定速度69.55km/h)を大きく凌ぎ、戦前の日本最速である阪和電気鉄道の超特急(表定速度81.6km/h)に匹敵する蒸気機関車牽引による最高速運転である。
これは、営業速度としては現在私鉄最速の京浜急行特急「三浦海岸行き」同じスピードである。
主力牽引機は青色の流線型機関車であるパシナ形で、その全長は25.675m、車体幅3.362m、高さは4.8mに及び、テンダーには石炭12t・水37tを積載可能、動輪直径は2m、運転整備重量203.31t(軸重23.94t)の超大型機関車である。
特筆すべきは、手荷物郵便車を除く全車両に冷房装置(空気調和設備)を完備していたことである。これは後に一般化する冷媒の圧縮で冷却する方式ではなく、機関車から送られた高圧高熱の蒸気を用いる吸収式冷却方式であった。アメリカのキャリア社から冷房装置のサンプル1台を輸入、これを満鉄がコピーしたものである。砂塵の吹く満洲の荒野では、空調装置の搭載は著しいサービスアップであり、当時世界でも類例のない試みであった。
当時の「あじあ号」は満鉄のシンボルであり、満洲国や日本における人気と知名度は高く、
1930年代から1940年代初頭における満鉄の代表列車として広く親しまれた。
一等車・二等車はもとより三等車でも居住性はきわめて優秀であったほか、
食堂車のウエイトレスは全てヤマトホテルで接客訓練を終えたブロンドのロシア人の
容姿端麗・日本語流暢おネーサン方であったという。
食堂車では白系ロシア人のウエイトレスがオリジナルの「あじあカクテル」を配膳した。
今で言うガールズ・バー状態であるw
あじあカクテル(グリーンとスカーレットの二種類があった)のレシピについて、
山崎達郎の著書では以下の説が紹介されている。
グリーン : ウォッカをベースに、ペパーミント・リキュールを追加。
スカーレット : コニャックをベースに、グレナデン・シロップを追加。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/071201/asia.html
コノ話が当時の松本零士少年の脳裏に焼きつくことになり、後の銀河鉄道999号の
メーテルやミーメ等の女性キャラクターは決定されたのだといいます。
戦後、その「あじあ号」も旧ソ連(現ロシア)に接収され、一時期シベリア鉄道を走っていた時期が
あったのだそうです。その後、満州鉄道と共に現在の中華人民共和国に返還され
今は奉天の鉄道博物館に僅か一両のみパシナ型が動態保存されています。
さて、行楽の秋、もし、今も満州国や満鉄が存在していたら、、、
弾丸列車構想が現実化していたら?、JR満州があったのなら・・・
どうなっていたでしょう?
では、最後に架空ながらJR満州あじあ号の旅と
秋の満州の紅葉をお楽しみ下さいw
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現在の旧満鉄本社ビル】
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遼寧省の湿原 紅海原の紅葉

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JR満州CM「そうだ、満州に行こう!】
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