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2016年11月01日02:18

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台湾人のアイデンティティは複雑だ

元々はおそらく起源を異にする複数の民族が住み着いていたようだが、
オランダ, スペインによる一部地域の占領、明臣鄭成功による西洋人の駆逐を経て、
その後一応は清の役人が駐留した。

そういう経緯もあってか、明治初年の段階では、
台湾人の少なくとも一部には中華圏の一員という意識はあったようだ。
その証拠に、日本の領有に対しては抵抗運動も起きたし、
第二次大戦の終結によって台湾が日本領から中華民国領に変わったとき、
中華民国の官吏, 軍人の上陸は祖国への復帰を示すものとして歓迎された。

一方で中華王朝から見ると台湾は化外の地だったようで、
台湾人による日本(琉球)の漂着民の虐殺事件に対して明治政府が抗議した時、
台湾は圏外なのでその住民のすることに責任を負うものではないと清朝政府は返答した。
その返答を根拠に日本は台湾の領有を進め、日清戦争の結果も手伝って台湾は日本領となった。

日本統治時代、台湾は日本化が進められ、日本語教育や日本名の普及が行われた。
しかし台湾人の多くは上述の通り己のアイデンティティを中華に求めていたようで、
日本に求めた者は必ずしも多くはなかったようだ。
ゆえに中華民国への"復帰"を歓迎したわけだ。

ただ、記事にもあるように台湾にやってきた中華民国軍や官吏の規律は酷く、
汚職や横領, 職権濫用甚だしく、台湾人を大いに失望させたことも確からしい。
日本統治時代にはインフラストラクチャは固より教育や経済発展も重視され、
台湾にも帝大が置かれ、一律の教育も行われ、知的水準, 経済的水準が向上した。
厳しい同化政策というアイデンティティへの干渉を除けば日本の統治は民国のそれよりも随分とましだったようで、後に二・二八事件と呼ばれる暴動なども起こった。
これに関しては台湾人が自分達と大陸人とを区別するのに君が代を歌えるか否かを以て判断したという逸話も興味深い。

こういう経緯もあってか、台湾人のアイデンティティをきちんと捉えるのは難しそうだ。
元来が多民族共存なのに加え、本省人と外省人とが混在し、
しかも日本に己のアイデンティティを求めることはほとんどなかったものの、
日本統治時代の秩序・発展と蒋介石時代の無秩序・退廃との対比、
大陸の共産党政権との政治的対立など多様な要因が重なって、
台湾の人は必ずしも己を中華圏の人とも思っていないように思う。

言語も姓名も中華風だし、信仰もまた中華風(関帝信仰や文天祥崇拝, 孔子崇拝など)
政府が蒋介石政府に由来する中華民国であることも大きく影響しているだろうが、
そればかりではなく、台湾人のアイデンティティの基礎にあるのはやはり中華だろう。

しかし一方で知り合いの本省人などを見ると、
「台湾は台湾だ。中国ではないし、中華民国でもない。我々は台湾人なのだ」
と、中華を文化の基礎としつつも自身をそれと同一のものとは見なしていない節がある。

上記の本省人が無政府主義者など、特殊なアイデンティティの持ち主なのかとも思ったが、
この人は同時に、兵役など国への義務は進んで果たしている。その上で、
「エリートとは、自らの意思で己の義務を進んで果たす者だ。
金持ちとか社会的地位が高いとかではなく、為すべきことを進んで為す者を言う」
という。
現在の政府である中華民国政府に反逆的という訳ではなく、
むしろ国家の一員としての己に誇りを持っている。

中華民国を名乗る政府の国民(の一部)が、反政府勢力という訳でもなく、
「私は中華民国人ではなく、台湾人だ」
と言うのだから、おそらくほぼ全ての人が己を日本人と思っているだろう日本人には、
ちょっと分かりにくいように思う。
少なくとも私にはよく分からない。
"中華民国"を名乗る政府が台湾政府であることは認めているが、
それが"中華民国"を名乗っていることは認めておらず、国号を台湾と主張している、
ということだとは思うのだが、きちんと把握でいているのかよく分からない。

もしかしたら本省人と外省人とで、あるいは少数民族などで、
アイデンティティを共有してはいないのかも知れないが。



■犬が去り豚が来た。日本撤退後の台湾を襲う大陸からの招かざる客
(まぐまぐニュース! - 10月31日 19:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4269814
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