mixiユーザー(id:21802633)

2016年10月29日00:00

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今の時間の使い方に限界


私は、音楽活動と合わせ、様々なタスク(仕事や行いごと)を同時進行で人生活動を進行させています。


そして、時間の大切さを感じる毎日が続いているのです。


そして、いつの間にか、時間や時代は、瞬間の塊で、もっと言えば、瞬間の粒の集まりであり、その瞬間瞬間が時代そのものだと、、漠然とした言葉で、今自分のなかで気付いた体感している現実を話す事があります。


それらを考えながら、日頃から、世の中の人々がどれだけ自分と違って器用かを感じています。

私自身が非常に不器用で、社会的や対人的にもとても弱い人間だと感じているのです。


そして、行き着く答えの一つに、今現在の自分の時間の使い方に限界を感じています。

(例えるなら一般人が脳内のハードディスク要領が8ギガや16ギガなら、私は2ギガ程度でしょうか。。)


別の言い方をすれば、別の考え方、視点をみれば、今現在問題としていることへの解決策があるのではないか。


(他人と同じように、器用に効率よく生きていきたい。しかし、人生の効率的な生き方や考え方が他にあるのではないか??他人と背比べだけをしたいのであれば、別ですが、人生の夢や目標が、いくつかまとまった形であるのであれば、他人と歩幅や背丈を合わせるだけが全てじゃないと思う訳です。)

他人と同じように頑張るだけでなく、「自分が何をしたいか、何を達成させたいか、」そして「自分は何が出来て、何が出来ないか、」の二つを考え、可能性を探って実行していくことが出来るのではないのでしょうか?

そして、タスク最速攻略や目的達成のためだけに歩いている人生ではなく、時間に追われない道の途中の休息の景色を楽しむ子供の頃のような瞬間も必要だと思うのです。

そのように、メリハリの中で、様々な瞬間のなかにある小さな運命でさえ、人生の価値のある大切な瞬間に感じ、自分が恵まれない足りないだらけの人生を補うためにタスク最速攻略をしていると感じるだけではなく、時には雄大な時間の静寂に浸ることも必要だと感じているのです。


もっといえば、これだけ頑張って時間を大切にしようと意識して来たのだから、満たされてないものは無いと信じること。


そして、不器用さを補ったり解消させる事だけでなく、自分のペースに合った生き方や、自分のスタイルに合った他人や社会との距離感、又は在り方を創ることが大切ではないかと感じているのです。

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