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2016年10月28日13:06

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「大東亜会議」に出席された『大統領』とは品格が違う!

オランダ・アムステルダム市長の大東亜戦争正当論!
http://m.youtube.com/watch?v=Dx-BBg0AgP4&sns=gr
〔田中正明「アジア独立への道」〕
昭和16(1941)年12月8日開戦!
「その翌九日,リカルテ将軍は参謀本部に呼ばれた.かれはかつての教え子太田兼四郎を伴って参謀本部に出向した.この時リカルテは七五歳の老齢であった.かれとすれば,日本軍の協力によって,祖国からアメリカを駆逐し,完全独立の旗を掲げる日が到来したわけで,この日こそ,待ちに待たれた待望の日であった.参謀本部とすれば,この老将軍を利用して,比島作戦を有利に展開させることがねらいであった.リカルテ将軍は占領後の独立を約束する“協約”を参謀本部から取り付け,協力を約した」
「リカルテ将軍と太田副官を乗せた陸軍輸送機は,台湾の屏東を飛び立って,ルソン島北部のアパリ郊外の田んぼ中に強行着陸した.それはまだ日本軍が上陸しない以前のこと―すなわち,本間雅晴中将の率いる比島派遣軍部隊のリンガエン上陸に先立つこと一週間,一二月一九日の決死行であった.そして二一日にはブイガン市庁舎屋上に,リカルテの手によってはじめてフィリピン独立旗がひるがえった.その国旗掲揚の写真入りのチラシが飛行機でルソン全島にばらまかれた」
「「リカルテ将軍帰る!」というニュースは,たちまち全島にひろがった.愕然としたアメリカ軍は,急遽飛行機をとばし,リカルテ討伐をおこなった」
〔マイケル・シャラー「マッカーサーの時代」〕
「単なる機会主義者以上であるラウレルは,日本の汎アジア主義的な美辞麗句を本気にとり,権力統治による東京の近代化を自国のモデルと考えた」
〔クリストファー・ソーン教授「米英にとっての太平洋戦争」〕
「日本がフィリピン人民に早期の独立を約束し,日本に協力的な傀儡政権を樹立したため,この時期,フィリピンに対する関心がアメリカ国内で非常に高まった」
「ホルヘ・バルガスの対日協力もケソンの全面的な承認のもとに行われているのだと思っていた」
「一方,ケソン大統領は,アメリカにあって一九四三年末前に任期切れになるのを待っていたが,結局,特別立法によって任期は延長された.マッカーサーのもとに届いた反ローズウ゛ェルト派の報告によれば,ケソンの地位は快適なものとはほど遠く,「ホワイトハウスの囚人で…ローズウ゛ェルトの『政治路線』に反する声明など出せない」
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