mixiユーザー(id:4256938)

2016年10月27日13:48

746 view

赤い宮さま

憲法9条について「戦争放棄は大変いいと思いました」と述べ、紀元節復活の動きには「歴史学的、考古学的な裏付けがない」と反対。
時に踏み込んだ見解を示し、保守派勢力から「赤い宮さま」とやゆされたこともあった。

こういうお考えをお持ちだったのですね。知りませんでした。ご冥福をお祈りします。
ーーーーーーーーーーーーーーー
意気盛んな青年将校だった三笠宮さまに、戦争に対する決定的な疑問を抱かせたのは、支那派遣軍総司令部参謀として赴いた戦地の中国・南京で見聞きした日本軍の残虐行為だった。

44年1月、三笠宮さまが陸軍を批判した文書は50年後の94年7月に見つかった。自身の「お印(しるし)」にちなんだ秘匿名「若杉参謀」の名で書かれ、「支那事変に対する日本人としての内省」と題し、「現在日本人、特に軍人に欠如しているものは『内省』と『謙譲』」と述べ、軍部に猛省を迫った。

日本軍の残虐行為をテーマにした映画を日本に持ち帰り、昭和天皇に見せたこともあった。
「聖戦という大義名分が、事実とはおよそ懸け離れたものであった」「聖戦に対する信念を完全に喪失した私としては、求めるものはただ和平のみとなった」。
著書に付した「わが思い出の記」で当時の苦悩を吐露している。

憲法9条について「戦争放棄は大変いいと思いました」と述べ、紀元節復活の動きには「歴史学的、考古学的な裏付けがない」と反対。時に踏み込んだ見解を示し、保守派勢力から「赤い宮さま」とやゆされたこともあった。

太平洋戦争以前の皇室制度を「格子なき牢獄(ろうごく)」と著書で表現。皇室の閉鎖性を、東西冷戦時代の「鉄のカーテン」になぞらえ、「菊のカーテン」と表現した。
「皇室を尊厳の対象にしようとすると、また昔の状態に向かう恐れがあるのではないでしょうか」と雑誌の対談で述べたこともあった。
http://s.news.nifty.com/topics/detail/161027133664_1.htm

三笠宮崇仁さまご逝去、100歳
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4262257
6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する