■「一生刑務所から出さないで」=5人死傷事故で遺族―札幌地裁
(時事通信社 - 10月25日 19:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4259595
体罰反対だのキレイごとをいいながら・・・
実際には被害者になると、
>母親は「できれば(車に引きずられた)昇太がやられたのと同じことを(被告に)してほしい」と語った。
これが現実。
江戸時代にあったような拷問刑は、人道的ではないと、廃止したため、痛みの無いただ一定時間働く懲役刑か、または死刑かの両極端な選択しかなくなった。
拷問が無い。
つまり犯罪者は何をして痛い思いをさせられることはないということ。
死刑の絞首刑も息が出来なくて窒息死なのではない。柔道の締めワザ(落としワザ)のように頸動脈を湿られて苦しく感じる前に意識の方が飛びます。
つまり、加害者側は被害者にどんな残虐な拷問を繰り返して指先の第一関節から一つづつ切り落とし、手足の指の第一関節を切り落としたら次は第二関節でまた・・ と延々被害者に苦しみと苦痛を味わわせて殺したとしても・・ それを数十人、いや数百人、いや、数千人にやって数千人殺したとしても、意識がとんでから死ぬ絞首刑という安楽死で済まされるのです。
日本で絞首刑が選ばれたのは、身体を切り裂くような残虐性もなく、また意識が飛ぶのが早い絞首刑が一番苦痛を味わわせない手段と判断されたからでしょう。
だから遺族の思いとしては「納得できない」という思いが強いと思います。
これでは犯罪の抑止力にならない。
江戸時代や、過去の他の国々では残虐な死刑がありました。
銃殺は、一発目で脳天を打ち抜かれれば幸いですが、手足の先からなどアチコチに銃弾を受けてから死に至った場合は最悪ですね。
残虐な死刑は抑止力になります。
悪い言い方をすれば「見せしめ」。
ただ、コワイのはえん罪ですね。
だから拷問刑は廃止された。
しかし、死刑は残っている。えん罪の可能性がある場合には絶対に選択してはならない刑です。
だから廃止するよう叫ぶものもいますが、廃止すると明らかな残虐事件の犯人も生ぬるい刑で済まされるという状態が発生します。
でもね、死なないまでの拷問刑というのが今は無いから、終身刑か死刑かの両極端しかなくなっているんですよ。
遺族としては「痛みを感じて欲しい」とか、「痛みを感じれば、本当の後悔が生まれ、本当の謝罪が内側から出てくるのではないか」という期待もあると思うんです。
拷問というと聞こえは悪いけど、場合によっては死よりも辛い拷問もあるけれども、今の世の中、「人生に希望が持てなくなった」と感じた人はカンタンに無敵になれるんですよ。
首つり自殺をやろうかと考えた人にとっては、「こんな世の中、無くなってしまえ」と何人を道連れにしても、最終は絞首刑。つまり「本望」なワケです。
もし、拷問刑があるのなら、「世の中はイヤになったけど、痛い思いや、苦しい思いをさせられるのはいやだ」という抑止力になると思うんです。
また被害者の方々も、「痛みを分かってくれたなら許してもいい」という気持ちも持てるのではないでしょうか。
拷問刑がないから極刑の「死刑にしろ!」という・・・ つまり内容的には「殺せ!!!」という選択を選んでしまう。
拷問刑があるなら「許す」という気持ちが出せたかもしれないのに、拷問刑が無いから死刑という、結果として「殺せ!」という、ある意味、加害者と同等の残虐な思考に「させられて」しまっているんです。
今の世の中、被害はお金に換算される。
では財産を持ってないものは、もうそれ以上取れされないのも今の法律のシステムです。
ある意味、体罰の時代のほうがマシだったようにも感じます。
小中学校で悪い子は叩かれる。 それで被害にあった子は、「あいつも痛い思いをした」と同情心も芽生え、それで済んだ部分も多かった。
いまは体罰がなく、言葉だけで、「もうやるなよ」のことばで済ませられてしまう。
被害者側は恨みをもったまま成長していく。
恨みをもったまま成長した側がひとたびナイフなどの凶器を振り回すともう止まらなくなる。
秋葉原の事件だって、ガキ大将側ではない人間みたいでしたよね。
体罰が無い替わりに、晴らされない恨みを大きくして行ってる被害者達がいて、その被害者達がいつか腹いせも出ると押さえがきかなくなるんです。
最近多くなってきた残虐な事件。
縦罰が無いから加害者側は限度を知らないまま、相手の痛みを知らないままエスカレートし、相手が死んで、初めて限度を知ったときには手遅れになっている事件も連発しましたね。
「言葉で言えば通じる」というのはキレイごと。言葉を軽く捉えているヤツらは返事だけで聞き流しているだけ。だからエスカレートして大きな事件になっています。
キレイ事を言う者は現実が見えていない。
そういう人たちは自分の身内が被害者になるまで気がつかないのでしょうね。
拷問刑があれば死刑は廃止にできるかもしれません。
しかし、拷問は良くないと言うならば、野放しか死刑を選択するかの両極端しか選べなくなるでしょう。
拷問刑ならば、罪の度合いにより、拷問のランクを選べます。
今の制度では懲役の期間での調節か(最大で終身刑)、死刑という、なんとも被害者側としては納得できない選択肢しかないのです。
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