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2016年10月20日22:23

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A級犯売国奴里見部下岸信介57年麻薬王里見の阿片資金で首相24時間監視保身で即訪米永久米軍駐留同意http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-669.html

57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する

麻生の祖父:吉田と安倍の祖父:岸は

満州で、麻薬アヘンを売っていたグループの一味

昭和を裏で動かしていたのは麻薬の帝王

岸信介を首相にしたのは麻薬の帝王

岸信介は第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた。

福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉

麻薬帝王 里見甫(はじめ)

日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった

その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業

里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった

「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた

米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う

ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している

中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降、英国軍部と結び付いたイラク出身のサスーン財閥の独占市場であった

中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う

この世代交代につけ込んだのが里見。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた

その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった

この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた

日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成

東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。

その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった

里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた

http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/796167f93683e174f73c0bd91bec4c04

安倍総理の背後・勢力

第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた岸信介は、戦後、戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監される

巣鴨から釈放されると岸は、満州帝国の日本語新聞「大陸新報」の社長であった福家俊一と密談を重ね、日本に新しい政党を作る準備を始める。

福家は満州時代、アヘン密売を巡り里見の情報屋として、新聞「大陸新報」の情報ネットワークを駆使し他のアヘン密売組織を「摘発」し、里見は福家の情報の下、他の密売人を次々に殺害して行った。

福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉

東京都知事の選挙資金を拠出する「政界仕掛け人」と呼ばれる事になる

53年、自由党から出馬し国会議員となった岸は、54年、米国で「2大政党制」を強く主張するロックフェラーの民主党に習い、日本民主党を旗揚げし幹事長となる

岸の政界資金は福家を通し里見から出ていた。

52年4月25日付の日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告を出している


重光外相は一切報道されず、無名の岸が「次期日本の総理大臣」と報道され、一躍米国で有名になったのである

満州帝国に武器を納入していた武器商人ポール・ブルームは、OSS(CIA)の欧州責任者アレン・ダレスの部下であり、ブルームの納入する兵器代金は中国でのアヘン売買の利益で支払われ、実際に支払っていたのは里見であった。

この資金が欧州での米国スパイ組織ダレス機関の活動資金として役立っていた。岸はその里見の部下であった

岸は訪米し満州時代からのビジネス・パートナー、ダレス兄弟の1人と会談しただけ

ニューズウィークはダレスのボス、ブッシュ大統領一族の経営するハリマン銀行会長エイブリル・ ハリマンが創立した雑誌であった。

ブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、岸はボスの里見から教えられていた。

ロックフェラーのコピーを日本で行うよう、岸は里見から指示されていた

岸は訪米中、ニューズウィークの編集長オットー・カーンの紹介で、戦後日本の政治家としては初めてロックフェラー
三世と会談する

岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来たのである

日本に帰国すると岸には24時間、ロックフェラーとブッシュの子分、ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムが「英語語学教師」として付き従う事になる

岸は24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する

ゴルフ好きであった岸を会談の合間にゴルフに誘い出し、一緒にゴルフコースを回ったのは、常に祖父プレスコット・

ブッシュであった

ブッシュと岸がゴルフをしている間に、ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社カーライルの子会社、デュロン銀行社長ダグラス・デュロン国務次官が、日本に米軍を常駐させる日米安保条約の素案をタイプし、また日本の自衛隊に
売り付ける兵器の見積もりを計算

65年、里見が亡くなると、岸は恩師の死に涙を流しながら達筆な毛筆で「里見甫」と大書

その文字がそのまま里見の墓標に刻印される事になる。

里見の資金を引き継ぐ後継者が、岸信介である事を遺族全員が認めていたから

その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍晋三


http://alternativereport1.seesaa.net/article/49599920.html

2007年01月22日
自民党権力の源泉

 日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。

生活に困った日本人は、日清戦争以後、半ば日本と世界各国の植民地のようになった中国に渡り、莫大な利益を求めて中国でビジネスを行った。

 その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業であった。里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。アヘンを扱う暴力団のフロント企業に、三井、三菱といった大財閥が出資していた事になる。

中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降イラク出身のサスーン財閥の独占市場であったが、英国軍部と結び付いたサスーンは、中国大陸とアヘンの供給地東南アジアにおいて、フランス軍が勢力を伸ばし、さらに日本軍が中国大陸において大規模な侵略を始めると、少しずつその勢力範囲を狭めて行った。

中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。

 この世代交代につけ込んだのが里見であった。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。
 その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。米国全土の麻薬組織、マフィアの「統一」を果たした「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグと、日本の大物右翼、三井、三菱財閥が連携していた。この日米マフィア連合が英国麻薬業者の追い出しを行っていた。麻薬争奪戦争であった。

 アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。後進国の日本がどのようにして産業を育成したかは、これからイスラエルを建国しようとするアイゼンベルグにとって、一つのモデルとなる。
 日本政府が国営で八幡製鉄所を作り、経営が軌道に乗り、一定の時期が来ると民間に企業を「払い下げ」、民間企業、新日鉄としたその手法はアイゼンベルグによって十分に研究、吸収され、戦後イスラエルの産業復興の手法として、アイゼンベルグによって生かされる。
米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。アイゼンベルグの経営者ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。そこから日本の産業界のイスラエル人脈は延々と続く事になる。現在の麻生外務大臣の経営する、麻生セメントの親会社ラファルジュ(フランスのセメント会社)のさらに親会社がアイゼンベルグである。

 この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
これは、戦後の日本で自民党の総理大臣になる面々が「偶然」にも昭和通商で麻薬売買を行っていたという事ではなく、中国のアヘン売買で「荒稼ぎ」した里見甫とイスラエル、アイゼンベルグの資金が、戦後の日本の権力者を生み出して来た事を意味する。

 日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成であった。野党までが戦争賛成なる「挙国一致」体制の成立で、野党による与党のチェック、戦争反対の声が完全に抹殺されてしまった。
東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。

 里見とイスラエル、アイゼンベルグの麻薬資金は、戦中戦後の自民党首相の「キングメーカー」となる。
 変わった所では、この昭和通商には牧野雅広が居り、その麻薬売買の利益で息子の牧野正幸は音楽プロダクションのマキノ事務所を作り、歌手の安室奈美恵等を生み出している。(続)


http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-669.html

日本が阿片帝国だったという事実…中国を阿片漬けにした真犯人は日帝!いつの時代も日本=悪

「アヘン」というと、一般的には「アヘン戦争」の「英国」を思い浮かべる人が多いと思います。
しかし「アヘン帝国」と呼ばれる国があるとすれば、これは戦前の日本です。 一時期、日本のアヘンの生産量はほぼ世界のア
ヘン生産量に匹敵しました (1937 年には全世界の 90%)。 例えば、次の本で「アヘン帝国」の呼称を使用しています。
(これは本の紹介ページです、 本の題目も訳してみました。1997 年に出版されたかなり有名な本のようです。)
Opium Empire: Japanese Imperialism and Drug Trafficking in Asia, 1895-1945
(アヘン帝国:アジアにおける日本の帝国主義と麻薬の取引、1895-1945)

先進国 (G8) はすべて、中国への「アヘン」輸出に手を染めています。 従って「中国」を食い物にした点では先進国はすべ
て有罪です。 しかし 1913 年に英国はインドのアヘンを中国に出荷することを停止します。 一方 1911 年頃から、欧米 (
特に英国と米国) は「モルヒネ」を東洋に輸出しますが、取引相手は日本でした。 「モルヒネ」は神戸を経由してそのまま
「中国」に再輸出されました。

http://mailsrv.nara-edu.ac.jp/~asait/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm

http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1440301070/

7:04頃からhttps://www.youtube.com/watch?v=4hnCHVuzVFI

麻薬は諜報機関の基本

いまの日本の麻薬、誰が管理?

創価学会と麻薬
http://m.webry.info/at/richardkoshimizu/200903/article_19.htm

■麻薬で逮捕歴のある方々
・研ナオコ 大麻(創価学会)
・上田正樹 大麻(創価学会)
・元サザンオールスターズ 大森隆志 覚醒剤・大麻(創価学会)
・矢倉涼子 覚醒剤・大麻 (創価学会 元サザン大森の妻)
・清水健太郎 大麻 (創価学会)
・槇原敬之 大麻 (創価学会)
・美川憲一 大麻 (創価学会)
・尾崎豊 覚醒剤 (創価学会)
・内藤やす子 大麻 (創価学会)
・田代まさし 覚醒剤 (創価学会)
・羽根田孝一 覚醒剤 (創価学会 TVプロデューサー。田代まさしにクスリを売った人物)


欧米がもうやめようって言ってる所で
日本がどんどん手を広げて傀儡国家まで作って
挙句の果てに調子に乗って中国アジアを武力で蹂躙したんだから

もうキチガイですね

原爆も落とされるわ これ

日本の阿片生産量は1937年世界生産量の90%中国人朝鮮人を阿片漬け奴隷にしてきたのは世界の悪の枢軸阿片帝国日本いつの時代も日本=悪http://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/section4E/kuiper_section4E.htm

アヘン帝国日本 --- 汚れた歴史

「アヘン」というと、一般的には「アヘン戦争」の「英国」を思い浮かべる人が多いと思います。 しかし「アヘン帝国」と呼ばれる国があるとすれば、これは戦前の日本です。 一時期、日本のアヘンの生産量はほぼ世界のアヘン生産量に匹敵しました (1937 年には全世界の 90%)。 例えば、次の本で「アヘン帝国」の呼称を使用
1997 年に出版されたかなり有名な本

Opium Empire: Japanese Imperialism and Drug Trafficking in Asia, 1895-1945
(アヘン帝国:アジアにおける日本の帝国主義と麻薬の取引、1895-1945)

出版されていない文書は多くが日本の外務省の記録文書

「満州帝国とアヘン」という標題で書き始めたのですが、 満州以外のアヘンの話も関係することになり、結局「アヘン帝国」と変えることに

先進国 (G8) はすべて、中国への「アヘン」輸出に手を染めています。 従って「中国」を食い物にした点では先進国はすべて有罪です。 しかし 1913 年に英国はインドのアヘンを中国に出荷することを停止します。 一方 1911 年頃から、欧米 (特に英国と米国) は「モルヒネ」を東洋に輸出しますが、取引相手は日本でした。 「モルヒネ」は神戸を経由してそのまま「中国」に再輸出されました。 「モルヒネ」を直接「中国」に輸出することが国際条約で禁止されていたためのようです。 (モルヒネを製造していた英国の企業は日本が国際条約に違反していることを知っていたはずです。) もうこの頃になると、中国への「麻薬」の輸出はほとんどすべて日本の手によっていました。 あとはますますひどくなるだけのようです。「アヘン戦争」によって「アヘン」が 中国になだれ込みますが、それよりもずっとひどいことが日本によって引き起こされた。 にもかかわらず日本ではほとんど語られていません

中心にある諸悪の根源は、「アヘンの専売制」です。 最初はこれは日本独自のものかと考えていたのですが、 これはヨーロッパ各国が植民地でしていたことの真似のようです。 中国国内には例えば香港などでアヘンの専売制がありました。 恐らく英国が真っ先にしたことと思われ、日本国内におけるアヘンの専売制も 基本的には英国の真似であったことになります。 しかし、その規模では日本は他を圧倒的に凌駕しました。 日本は最終的には「満州帝国」でアヘンを生産し、関東軍の占領下におけるアヘン (あるいは広く麻薬 -- モルヒネ、ヘロインを含む) の流通を一手に独占します。 しかもアヘンの消費量を増やすために、アヘン中毒を大量に作ります。 中国侵略はむしろアヘンを売りさばくための戦争であったと考えたほうが よいくらいです

Asian Holocaust : WMD Opium, Sex Slaves, Nanjing Massacre Pillage, Slavery, WMD Unit 731, 100, 516

日本が中国でしたことを「国家によるテロ」(state-terrorism) と呼び、 米国は共産圏との対決の理由から「国家によるテロ」を隠蔽したのではないかと 言っています。あとあと見るように、日本は中国の人を手当たり次第に麻薬中毒にして 搾り取るようなことをしています。これは地域住民に対する無差別攻撃です。 地域住民に対する無差別攻撃は通常「テロ」と呼ばれますから、確かにこれは「国家によるテロ」です。 しかし、アヘン帝国日本による「麻薬テロ」と呼ぶほうが雰囲気が出ているような気がします。 東京裁判では日本の「戦争犯罪」の大半が隠蔽されているようで、これは共産圏との 対決の理由からであったようです。 例えば「731部隊」のことが「東京裁判」で取り上げられなかったのは 人体実験の資料を手に入れるための米国による取引

また上記のページには「1820 年においてさえ、世界の GDP の 1/3 が中国で生産されていた」 と言っています。中国がとても豊かな国であったため、世界中から狙われたのでしょう。 最後には日本だけに食い物にされますが ....

日本を経由した麻薬

日本は中国に麻薬を蔓延させますが、他国の麻薬を中国に持ち込んでいたこともあります

Japan as an Opium Distributor (アヘンの販売業者としての日本)

カルカッタのアヘン売り場で日本はインドのアヘンの重要な購入者の一つになった。...... インド政府によって売られたアヘンは日本政府の許可の下に神戸に船で送られ、神戸で青島 (チンタオ) 向けの船に積み替えられる。この貿易ではとても多くの儲けがあり、日本の代表的な企業のいくつかが 興味を示している

最終的にアヘンを中国に持ち込んだ日本も悪い奴です

1919 年 2 月 14 日のニューヨーク・タイムズの記事は全文を読むことになりました (「アヘン帝国の興隆 -- 台湾」を参照)。そこで、わかったことですが、 このとき持ち込まれたアヘンは中国の広域に持ち込まれた

強調しなければならない点は、このアヘンは日本に輸入されたのではないことである。 神戸港で積み替えられただけで、ここから日本が支配する鉄道で済南まで運び込まれ、 山東省を通り抜けて、上海、揚子江流域に持ち込まれた。
この鉄道は恐らく、第一次大戦でドイツの租借地である青島を制圧したときに あわせて支配したのでしょう。日本は麻薬の密貿易のために鉄道をよく利用していたことが はっきりします。
「アヘンの販売業者としての日本」の筆者は 1919 年 3 月のプトナム・ウィール (Putnam Weale) による記事を引用

否定することが出来ない点は、(中国における) 海関 (Maritime Customs) の日本人弁務官が事務所を持っている港では すべて、密貿易のセンターが設立され、アヘンやその派生製品がまったく堂々と密輸され、 日本が年間に持ち込むモルヒネは (これは国際条約によって禁止されてはいるが) いまや 20 トン程度であろうと 言われている。この量は一つの国を中毒にするに足るものである。

訳注: 「海関の日本人弁務官」(Japanese commissioners of Maritime Customs) の正確な意味 (あるいは役目) は知りませんが、前後関係から大体はわかります。日本からの輸出品は 中国における日本の税関を通すだけでよかったのです。このようなことが 可能となったのは、日清戦争の結果、下関条約で締結された日本と中国の通商条約 (不平等条約) の結果です。日本が中国と締結した通商条約は、アヘン戦争の勝利国が中国と締結した通商条約と 類似のものです

Treaty of Shimonoseki - Wikipedia

日本政府の許可さえあれば、日本人は中国に麻薬を持ち込むことが でき、(これはとてもよくないことですが) ヨーロッパの国々と対等になった。 しかし、この記事が書かれた頃は欧米各国が中国の麻薬から手を引いており、しかも桁違いに大量の モルヒネを日本が中国に持ち込んでいますから、 とても風当たりが強くなったのです

アヘン中毒 (opium habit) を撲滅しようとしたが、その結果モルヒネが流通。 北中国 -- とりわけ満州 -- におけるモルヒネ中毒はすでに広範囲になる。 中国政府はこの災いに警戒態勢を取っている。しかし抑圧する試みは麻薬業者 -- 主に日本人 -- の行動によって妨害されている。麻薬業者は中国政府、日本政府の規制をかいくぐっている ... 中国はモルヒネ漬けになっている。--- 中略 --- 営口では, 2000 人ものモルヒネ中毒が 1914 - 1915 に死亡した。モルヒネの場合にはアヘンよりもはるかに急速に中毒が進行する。.... モルヒネはまだ東洋では、まとまった量では生産されていないし、モルヒネの摂取に必要な 皮下注射器の製造をすることが出来ない。 大量に生産されているのは、英国、ドイツ、オーストリアである... この取引には エジンバラの 2 つの企業とロンドンの企業が従事しており、貿易は日本の業者が実行している。 商業取引所の報告書によれば英国から東洋へのモルヒネの輸出はこの数年の間に極端に増大している

1911 5.5 トン
1912 7.5 トン
1913 11.25 トン
1914 14 トン

訳注: 上の文章では日本政府も麻薬の規制をしているかのように表現していますが、 これはないです。

Japan as an Opium Distributor (アヘンの販売業者としての日本) は The opium monopoly (アヘンの専売制) の記事の一部

中国、日本人の男に死刑執行 8キロの覚醒剤売買の罪
朝日新聞10月20日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4251641
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