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2016年10月18日20:11

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今日の詩作 『 「場」の舟 』

『 「場」の舟 』
              アステローペ・リーフ (2016/10/18)



西田幾多郎の哲学は 「場」を想定する

この地球の存在する「場」が そっくりどこかに移動したとするなら 抜けた「場」の後には何があるのか


何があるのでしょうね


人類もろとも地球もとろも 宇宙空間ごと そっくり移動した後の「場」で

時間も空間もそっくり移動した後の「場」で


何が存在しているのでしょうね



(物理法則:ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E7%90%86%E6%B3%95%E5%89%87
*−−−−−引用開始−−−−−−−*
・・・

ある時点で(当然、現在も含めて)物理学の領域で記述されている法則が、果たして本当に自然に存在している法則を充分に記述しているかどうか、ということは疑問視されることがある。

ニュートン力学は、20世紀初頭まで絶対的なもののように堅く信じられていた(あるいは現在でも信じられてられていることがある)。

その後、ニュートン力学というのは、絶対的ではないと理解されるようになってきている。湯川秀樹も「ニュートン力学はドグマである」と断言している[4]。“物理法則だけで、世界で起きることが全て記述できている”と信じてしまうような信仰は「物理主義」と呼ばれることがあるが、この物理主義というのは原理主義の一種であるとも指摘されることがある[5]。

湯川秀樹は、ニュートン力学は適用範囲が広かったことに言及しつつ、だからドグマになっても不思議ではなかったのだ、と述べている[4]。つまり、適用範囲が広くて、かつそれ自体で閉じているような理論体系を学習・習得すると、学習者は思考がその理論体系に沿ってしか動かなくなり、世界を見ても世界自体を見ることなく、自己完結した理論体系や用語へと変換するだけなので、理論のほころびがわからなくなり、あたかも世界が理論に沿って全てが動いているようにしか感じられなくなってしまう、ということである。

本物の自然というのは、人間の知的営為のかなたにあって、はるかに複雑であったり不可思議なことが実際には起きているのだ、それなのに理論体系や人工物に囲まれるとそうした基本的なことが分からなくなる、といったことも指摘されている[5]。
・・・

[4] 湯川秀樹 『物理講義』 講談社〈講談社学術文庫〉、1977年、21-22頁。ISBN 4-06-158195-3。
[5] 養老孟司、茂木健一郎 「原理主義を超えて」『スルメを見てイカがわかるか!』 角川書店〈角川oneテーマ21〉、2003年、100-124頁。ISBN 4-04-704154-8。
*−−−−−引用終了−−−−−−−*

一般の人間の思考や感性の限界は この4次元時空(3次元空間+1次元時間)の座標といういう檻に起因するのだろう


般若心経の世界は 「場」を超越して存在する世界を 4次元時空(3次元空間+1次元時間)の檻の中の人間に何とか伝えようとする偉業なのかもしれない


無理は言わない 無理を追わない 

人間の限界の中で 檻の中で  炸裂する人間の光を 歴史の中から生まれた論理の光を 

拳の中に握りしめ 

人間が立ち上がる日を 信じるのみだ




2016年秋の静寂(しじま)の中を 「場」の舟が激しく振動している





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