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2016年10月18日00:43

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川崎キ61三式戦飛燕について

昭和18年に正式化された太平洋戦争で使われた日本唯一の液冷エンジン搭載戦闘機。
あの戦争、海軍はまあまあ頑張ったけど、陸軍は駄目駄目と言われるけど、新型機の開発と生産に限っては陸軍が上をいっていた。
ノモンハン事件の教訓から、早い時期に防弾を考慮していたし、海軍が零戦しか戦力化できなくて、どうにか実用化にこぎつけた雷電、紫電、紫電改も戦況に寄与するほどの数が作れず、稼働率も低いまま終わってしまったのに対し、陸軍は一式戦、二式戦、三式戦、四式戦、五式戦と順番に戦線に投入。
特に四式戦は一式戦の後継として、数量的にもそこそこまとめて配備できた。
原因はいろいろ言われてるけど、技術屋集団の自負が強すぎる海軍は開発現場に口を出しすぎ、陸軍は要求さえ満たしていれば、あとは現場にまかせたからってのが大きい。

てのはともかく、「風立ちぬ」にも出てきた堀越二郎、一式陸攻の本庄季朗、二式大艇と紫電改の菊原静男など、当時の日本には多士済々な設計者が居た中で、個人的にいちばん好きなのが川崎の土井武夫なのですよ。
川崎がドイツから招いたフォークト博士に師事した土井はドイツ流の合理性を重んじ、頑丈で作りやすい、ほかの日本機とは少し毛色の違う機体を次々生み出した。

九五戦に始まり、九八軽爆、九九双軽、二式複戦、三式戦、五式戦、キ102と続く土井デザインは直線を多用し、空力設計に共通点の多い、見栄えのする機体ばかり。
生涯に設計した機体はおよそ20。
堀越が3、P51のエドガー・シュミードが3、Fw190のクルト・タンクでも5やってことを考えると、とんでもない数やとわかる。

中でも、日本機離れした流麗なスタイルを持ち、アメリカからもトニーと、イタリア人っぽいコードネームで呼ばれた三式戦飛燕の人気は高い。
エンジンの性能と稼働率が十分でなかったから、見た目ほどに高性能ではなく、たくさん作られたわりにたいした戦果もあげてへんのやけど、機体設計の優秀さは空冷エンジンに換装した五式戦の高性能っぷりで証明され、エンジン出力を向上させた2型も1945年の時点における第一級の性能を誇った。

この15日から11月の第一週まで神戸ポートターミナルホールで無料展示されているのはその三式戦2型の試作17号機。
以前は知覧の特攻記念館で展示されていたのを川崎重工の岐阜工場が引き取って徹底的にレストアしたもの。
ダイムラーベンツのDB601をライセンス生産した川崎ハ140は取り外して展示してある。
3000機あまり作られたキ61で現存するのはこれ1機のみ。
あとはイギリスのコスフォードにエンジンをハ112空冷星型複列14気筒に換装したキ100が1機あるだけ。
向こうは水滴型キャノピーやから、ファストバックはやっぱりこれしかない。
2018年からはリニューアルされる各務原の航空宇宙科学館で常設展示されるとのこっちゃし、また会いに行かねば。


フォトアルバム
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