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2016年10月17日04:04

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戦うのは何故だ?人間だからさ!!

前回はこちら→http://mixi.jp/view_diary.plid=1956171174&owner_id=26426872
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さやか:前回の続きだよ。1970年代に一大ブームを巻き起こした仮面ライダーだけどね、やがて時代の流れと共に凋落、忘却のかなたへと消え去ってしまったわけだね。その経緯はというと・・・
■一世を風靡した“昭和ライダー”も新たなヒーロー像に敗北

 1971年から放送された初期ライダーは、悪の秘密結社・ショッカーによってバッタの能力を持つようにされた“改造人間”。この設定自体が当時としてはかなり斬新だったが、ルックスも昆虫の複眼を持つバッタ人間だった。それまで人気を博していた「ウルトラマン」シリーズやロボットヒーローのように巨大ではなく、等身のヒーローであり、変身ベルトによる変身シーンも当時の少年たちの心をつかみ、たちまち大人気となった。また、「仮面ライダーカード」をおまけに付けた仮面ライダースナックや、「変身ベルト」といった玩具の大ヒットもあり、キャラクタービジネスの先駆けともなった画期的な作品でもあったのである。

「『仮面ライダー』は一世を風靡するものの、その後『機動戦士ガンダム』のアムロ的な“ナヨナヨした少年=自分に近い存在”が主人公という作品が、少年のみならず大人にもウケるようになり、仮面ライダーシリーズは子どもっぽいし古臭い…というイメージが子どもの間にも定着してしまいます。そしてライダーシリーズは徐々に低迷していき、1988年の『仮面ライダーBLACK RX』を最後に、TVシリーズはいったん休止してしまうのです」(エンタメ誌編集者)

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 この編集者の言ってることには多少語弊があるね。歴代の昭和ライダーの人物像をどこか勘違いしてる。仮面ライダーのコミック版を一読するとわかるかもしれないけど、仮面ライダー1号こと本郷猛は天才であるがゆえに人ならざる者に変えられ、苦悩を抱えながら孤独な戦いに身を投じる、つーか影のあるヒーローなわけだよ。あのブルース・ウェイン(バットマンの中の人)にも似たような感じだね。それを兜甲児だとか流竜馬とかのロボットアニメの主人公のような熱血馬鹿と同列に見るのはどうかなー、とあたしは思うんだけど。80年代になると仮面ライダーは低迷していったんだけど、仮面ライダーのコンセプト自体はゴレンジャーとかアクマイザー3、あるいはバトルフィーバー以降の戦隊シリーズに代表される集団ヒーロー、宇宙刑事ギャバンを開祖とするメタルヒーローへ継承されていくわけだし、完全に廃れるわけじゃないんだね。それをいうならさ、仮面ライダーが低迷した原因はタケちゃんマンとか仮面ノリダーとかにあるんじゃないの。真面目にヒーロー番組を作っても子供や一般大衆は下らないバラエティばかり見てちっとも見向きもしない。そーなると真面目に作るのが馬鹿らしくなって制作意欲を失い、シリーズそのものが終了したわけね。
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■イケメン俳優の登竜門として確固たる地位を確立した“平成ライダー”

 その流れが一変するのが、2000年の『仮面ライダークウガ』(オダギリジョー主演)に始まる、いわゆる「平成ライダー」シリーズからだ。昭和ライダーには必須だった人造人間という設定が排除され、悪に対しては警察と連携したり、カッコいい変身フォームの導入などで再び脚光を浴びる。『仮面ライダーアギト』では、ついに3人のライダーが登場する事態にまでなるが、賀集利樹、要潤といったイケメン若手俳優が登場してくると、子どもと一緒に見ていた母親層の人気も獲得。以降、綾野剛(『仮面ライダー555』)、水嶋ヒロ(『仮面ライダーカブト』)、佐藤健(『仮面ライダー電王』)、瀬戸康史(『仮面ライダーキバ』)、菅田将暉(『仮面ライダーW』)、福士蒼汰(『仮面ライダーフォーゼ』)、そして前作『仮面ライダードライブ』の主演を務め、今、ドラマや映画への出演が続く竹内涼真など、ついに“イケメン俳優の登竜門”という方程式を作るまでに至ったのである。

「2005年の『仮面ライダー響鬼』のころには、すでに“イケメン方程式”ができ上がっていたのですが、この作品は大いに物議をかもしました。まずは主人公に33歳(役の年齢は31歳)の細川茂樹さんを抜擢。ライダーは登場せず、“鬼”と呼ばれる戦士が楽器をモチーフにした武器で敵と戦うという設定にし、変身ベルト的なものも存在せず、基本的には“鬼”と関わった少年の成長する姿が主題…という内容だったんです。様々なルールを壊した実験的な作品でした。2002年の『仮面ライダー龍騎』も、13人ものライダーが登場し、最後のひとりになるまで戦い続けるといった混沌とした内容でしたが、平成ライダーは単なる“勧善懲悪”の物語ではなく、ヒーロー像も内容もけっこう時代によって試行錯誤してきた作品なんです」(前出・編集者)

■かつてのフォーマットを踏襲しつつも人間ドラマとしての側面が強調

 現在のライダーの基本フォーマットは、かつての変身ベルト的な“ハード”と様々な形態にフォームできる多種多様な“ソフト”を駆使して、ライダーキックのような格闘技的な技も繰り出すというものだが、やはり特徴としてはどんどん形や機能を変えていく武器がキーポイントで、現代の進化するハイテクのイメージと重なるところがある。 内容も、当初は敵である主人公以外のライダーも実は深い苦悩を抱えており、いつしか主役ライダーとわかり合って仲間になる…という人間ドラマになっており、特撮で育ってきた親世代も楽しめる深い内容になっているのだ。

 平成ライダーが登場するきっかけ、というのはここではウルトラシリーズの復活もあるんじゃないか、と思うね。1996年にO.A.されたウルトラマンティガは作風こそ初代ウルトラマンをイメージしたものの、M78星雲の存在を排した新解釈、ブラックRXで採用されたタイプチェンジ、などの新しいコンセプトで好評を博したんだけど、その勢いが仮面ライダーにも伝わったんだね。ただウルトラマンは結局原点回帰になったのは否めないけど。
 今の仮面ライダーの世界観、というのは今は制作統括に回ったんだけど白倉Pのヒーロー観が影響してるんだと思うよ。この人は元々平山亨氏や吉川進氏とかのヒーロー像に懐疑を抱き、実際に東映に採用されてからは意図的に旧来の東映ヒーローを否定する、いわば綺麗ごとではないシビアな作品を作り出していったわけ。この辺は東映が同族経営をしないからこそ可能だったんじゃないかな。もし平山氏の息子がスタッフにいたら間違いなく干されてるね、白倉P。

 それと、サイボーグの概念を撤廃したのには実際に人工臓器が開発されて現実に近づいてきたことと、あと生命倫理的なものもあるかもしれない。つーかね、サイボーグを英雄視すると死んだ人間が生き返る、なんて錯覚を生み出したりするからね。それと、タイプチェンジやさまざまな武器の採用、というのは子供たちにとって絶対的な強さを見せるための演出だとあたしは思うんだね。特訓や修行で強くなる、なんてのは弱いヒーローだというのを露呈するんだし。

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