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2016年10月09日05:57

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ドイツの混迷・三十年戦争

三十年戦争とは何か

 

三十年戦争は、1620年から1648年にかけて、主にドイツとチェコを主戦場として戦われた戦争です。

 この戦いにかかわった国や諸侯の数は、実に66を数えました。参加国数だけを見るなら、文字通り、人類が初めて体験する「世界大戦」だったのです。この血みどろの国際紛争の結果、ドイツとチェコの人口は戦前の2/3にまで激減し、主戦場となったドイツの近代化は、100年以上も遅れたと言われています。


三十年戦争の区分

 

さて、三十年戦争は、あまりにも長期にわたる複雑な戦争だったので、学者たちはいくつもの区分を時系列的に設けて論じるのが普通です。すなわち、

 

(1) ボヘミア・ファルツ戦争(1618〜1623年)

(2) デンマーク戦争(1625〜1629年)

(3) スウェーデン戦争(1630〜1635年)

(4) フランス戦争(1635〜1648年)

 

ご覧のように、この区分はいずれも国名をタイトルに持っているのですが、これはオーストリアの敵手の名前です。つまり、三十年戦争の主役は、あくまでもハプスブルク家だったというわけです。

 

この国を統べるフェルディナント2世は、ボヘミアとファルツを打倒した後にデンマークと戦い、これを破ったと思ったら今度はスウェーデンに介入され、さらにフランスまで敵に回し、ついに力尽きて鉾を収めざるを得なかったのです。

 

これは、明らかに「外交の失敗」です。

 

どうして、こんなことになってしまったのでしょうか?

http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/30yearswar1.htm から抜粋(ってここのHPって誰がやってんだろうか)


wiki だと、

三十年戦争は名前の通り30年間絶え間なく続いたのではなく、数ヶ月から2年程度の小康状態を挟んで断続的に続いた。当時はほとんどの軍が長期間統制しにくい傭兵によって賄われており、国王直属の常設軍隊は稀であったからである。また、長期の戦争を継続することは国家財政を圧迫するため、息切れするかのように戦争が中断されることになった。しかし、戦争が長引くとインターバルの期間は次第に短くなり、三十年戦争の最終段階では13年間にもわたる戦闘が繰り広げられた。

この戦争は4つの段階に分類することができ、それぞれハプスブルク帝国に対抗する勢力ないしは国家の名前をとって下記のように呼ばれている。

第1段階:ボヘミア・プファルツ戦争(1618年 - 1623年)
第2段階:デンマーク・ニーダーザクセン戦争(1625年 - 1629年)
第3段階:スウェーデン戦争(1630年 - 1635年)
第4段階:フランス・スウェーデン戦争(1635年 - 1648年)

三十年戦争は新教派(プロテスタント)とカトリックとの間で展開された宗教戦争と捉えられることが多いが、それはこの戦争の単なる一側面に過ぎない。[要出典]当初は宗教闘争に名を借りた民族対立の様相を呈していたが、戦争の第2段階から徐々に国家間の権力闘争の側面が露わになり、ヨーロッパにおける覇権を確立しようとするハプスブルク家と、それを阻止しようとする勢力間の国際戦争として展開することになった。


と、言う記述になってるけど、独自研究が含まれてるとモノイイがついてるなあ。



なんかいいページあったら教えていただけると幸いです。
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