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2016年10月07日07:57

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【全バレ】君の名は。という呪い

他人に見せる日記というよりは、私自身のライブログになってるこの日記。この時期世の中に起きた「事件」を記録するために、レビューの形で「君の名は。」の話をしてみるよ。

「君の名は。」←読点がついている。秒速5センチメートルその他の作品群で新海節を展開してきた新海誠が、300スクリーンというアニメとしては比較的大きめの規模で、新海ワールドを世に問う作品。

メタな構造としては、宇多丸さんに全部言われちゃってるなぁ。
「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」宇多丸、『君の名は。』を語る!(2016.10.1放送)【映画評書き起こし】
http://www.tbsradio.jp/79324

・話としては青臭い
・新海ワールドを、新海誠も承知のうえで、商業的な方向へ寄せた
・機密な背景と人物描写は平常運転
・「転校生」「時かけ」からのポスト911な災害ものと、全部入り
なんて話では賛同できる。あと
・ラストシーンで青春が終わる
ってところもかな。

逆に、おばあちゃんどうなったのかを描いて欲しいって話には、唯一賛同できなかった。その話はあとでします。おばあちゃんは早めにいなくなってもらわなくてはいけなかったんですよ。



ある朝突然、田舎と東京の高校生の男女が入れ替わります、階段でからまりながら落ちたわけでもないのに。それっぽい理由が後で語られるかと思ったら、そんなことはなかったぜ。

むしろ序盤の見どころは、神木くんのモノローグから入るアバン→全バレのオープニングですね。彗星が降る夜、彗星を見上げるふたり、三葉はすでに浴衣でショートカットです。このふたりが同じ時間軸にいるはず、と思わせてしまうミスリード。
なにか意味深に思わせておきながら、すぐにオープニングに入ってしまいRADWIMPSの前前前世が流れ出してしまうので、観客は「忘れてしまう」のです。

そしてそのオープニング、短いザッピングでわかりずらいのだけれど、2回以上観る人たちにはネタバレ満載だとわかるはず。オープニング直後、瀧君が目覚める(もう入れ替わってる)シーンで「瀧くん、瀧くん、覚えてないの?」と誰ともわからない声で目覚めます。もちろん三葉の声で、後半はだいぶしつこく出てきますが、開始直後のこのシーンが初出です。

それなのに観客はまたしても「忘れてしまう」のです。

クライマックスで「嗚呼、どうしてこの二人忘れちゃうんだろう」と切ない気持ちになりますが、忘れていたのはわたしでした。すいません。2回目鑑賞の冒頭で、かなり落ち込みました orz



「あんた、夢をみておるんか」
そしてばーちゃんですよ。ばーちゃん最強です。ばばTUEEEですよ。だって「それも、結び」って言うと、CV市原悦子で言うと、すべてok!になってしまうじゃないですか。ナントカむかしばなしで「むかし○○がおったそうなぁ〜〜」って言われたら、いる設定で全編上書きされてしまう、そういうものなんだと視聴者が思ってしまう、そんな最強。

もしかすると、ばーちゃんがオレンジ色のツナギを来て、ティアマトを撃ち落としたら、全部解決するんじゃないですかね。それやるとエアロスミスのBGMが流れてきて、別の映画になりそうですが><;
マジな話でいうと、ばーちゃんが避難誘導したら、みんな言うこと聞くんじゃないですかね?あの田舎では宮森神社の巫女というのは、それなりに注目される存在みたいですから。

ばーちゃんが瀧君in三葉の言葉を信じずに、そして瀧君が、三葉が、走り出すから、最後のクライマックスへ向かっていけるのです。ラストシーン、君の名は?からの上パーンで、上空に50%透過でばーちゃんの顔が出て「これも、結び」とかしゃべったら、いったいどうなっちゃうのか(爆)。
いや、たしかにそういう話ではあるけれども!ばーちゃんが出てきたらだいなしです。瀧君と三葉の、走った二人の到達点でなくてはいけないのです。そういう映画だから。

ばーちゃんの最強を否定して、観客がばーちゃんを「忘れてしまう」ために、さまざまな小道具が用意されています。繭五郎の大火、わたしは大好きです。
一見、老人が同じ話を繰り返しする件、のように見えています。さらには「三葉は知ってるけど、瀧君が知らない」いくつかのこと、のひとつなんだろうと観客は思います。

印象的なシーンはご神体への山登りのシーンです。
「繭五郎のせいでワシゃ知らん!」ああ、ばーちゃんでも知らないことあるんだなと思ってしまったわたしの不覚ですね。ばーちゃんでも知らないことがあることにする、道具だったのです繭五郎。
ばーちゃんは「なんでこれやってるのか知らないけど、伝統だから組紐や舞いは残す」イノセントとして描かれます。ばーちゃんなんか知ってるのかな?と思わせるだけ思わせておいて、観客を放り出す。ご神体への山道、山登りをさせられているのは宮水姉妹ではなく観客なのです。

そして、画面いっぱいに広がる(映画館ならではの手法ですネ)クレーターっぽいなにか。そしてあまりに矮小なご神体。ここで「このクレーターは前々回のティアマトのやつ?」と思ったあなたとわたしは、ばーちゃんの術中にすでにいるのです。
ご神体のあるクレーターには劇中では説明がありません(前回のやつは糸守湖になった、とテッシーのオカルト記事に出てくる)。でも観客が勝手に連想するようにできています。もっというと「ばーちゃんに言われるまでもなく、客が自分で気がついた」錯覚をするようにできています。

口噛み酒、彼は誰時(かはたれどき)、組紐。すべては転校生→時かけ→降ってくるゴジラを繋ぐ道具です。どうしてこういう流れになるの?と、気づいてしまったひとは楽しめなかったと言ってるひとたちなのでしょう。三部構成の「結び」が繋がらなかった。むしろ、気づかなかったひとたち、積極的にだまされたひとたちは、楽しんだ。
そしてゆきちゃん先生とばーちゃんは、物語を繋ぐアイコンだけを残して、消えてゆく。観客が自分で気づいたと錯覚するためには、瀧君と三葉が運命をつかむ(orつかんだと錯覚する)ためには、トンデモSFだと気づかれる前に、姿を消す必要があったのです。



はぁ〜、ばーちゃんの話、アツくなりすぎたな(笑)。だって「瀧君がおる」→「出会う前に尋ねてくるなんて」の話とか「これじゃ名前わかんないじゃん!」のくだりなんて、誰でもするじゃないですか。だから、それへ至る仕掛けとか小道具の話だったら、わたしでもできるかなって。

でも「悲しいラストシーン」の話だけは、しておきたいですね。みんなすれ違いを続けている瀧君と三葉が、やっと会えてカタルシスを得る、って流れなのでしょうが、初見はわたしもそれでよかったんですけど、2度目観たら「悲しい話だな」って思えてきました。
宇多丸氏が言うように「いままでの新海作品のように出会わないエンドもあったはずなんだけど」「でも出会ってしまった。よかったと思う反面、彼らの『青春』は完結してしまう」んです。寂しさをたたえている、とも。
その意見、私も同意します。あのエンディングのあと、もしかしたら瀧君と三葉お姉さんはどこぞのカフェに行くのかも。でもそこでする会話がまったく連想できないのです。「この先このふたりはなにをしゃべるんだろう?」までは考えるけど、その先が続かない。未来が見えないんです。

おっさんだから?トシだから?うん、それでいいです。10代〜20代前半であれば、それは明るい未来や希望に見える。なにかが起こりそうな予感がする。でも20代後半、すなわち三葉お姉さんの歳を通り越して、30代から見える景色は?「同窓会で会っても何も起きないよな」って枯れた思想です。

高校生のときに出会った恋に、なんとなく引きずられて、しかもその記憶あいまいなのに、そして25〜6までトシを取ってしまう女性。その歳より下の観客にとっては「未来」「運命」にみえる。でもそれ以上の歳のひとからは「過去」「呪い」ってことになってしまうのです。

瀧君が手から外した組紐を三葉の髪に結ぶシーン、美しかった。でもなんとなく、まどか☆マギカのまどかのリボンのようにも見えていて、本橋さんばりに「まろか、まろか!」とツッコミを入れてしまいつつ(笑)、「それ大丈夫か」って心配にもなりました。
だってあのときのリボンは、ほむらの執着と呪縛の象徴だったじゃないですか。今回も記憶とリボン(組紐です)を残して、大丈夫?って思ったのはわたしだけじゃないはず、と思いたいです。



ほんとだったらオムニバスで3つの章でやる話を、ムリなく(実はばーちゃんがけっこうムリしながら)つないだ技術はさすがです。「背景がモノを言う」新海ワールド全開でしたしね。
できたら2回以上みてほしいです。ハッピーエンドとバットエンドが両方見られるのは、年寄りの特権です(笑)。
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