長谷川豊さんが、ご自身のブログに書いた「透析患者」のことで非難され、アレヨ
アレヨという間にレギュラー出演のテレビ番組、全て降ろされたようです。
彼の言いたいことは、判ります。「食事や身体管理ができず不摂生で糖尿病になり、
悪化して腎不全末期から透析に到る。それが透析の大半を占め、健保財政を圧迫する。
そんな患者は全額自己負担にしろ。それが嫌なら殺せ。」という義憤です。
でも、この程度のことは、腎不全や透析を知っている人なら、大抵、知ってること。
知らない人は 目から鱗で感激しても、世直しに繋がるほどのことじゃない。これしきの
ことで、何を口汚く罵っているのか、と不思議でした。
糖尿病から腎不全・透析導入の人が多いのは確かですが、糖尿は失明にも繋がること
があり、病の怖さを知れば平然と不摂生する人は少ないでしょう。「病」自体が、甘い
ものを欲しがり運動など身体管理する気力や理性を失わせている、とも思います。
それに「不摂生と決め付ける線引き」も難しい。透析は年間500万どころか600万円
は掛かるようです。将来への蓄え以外で、そんなに貯金できる家庭は少ないでしょう。
それを全額負担させれば、一般家庭なら、治療以前に生活苦で破綻します。
また全額自己負担は国が決めることで、個人が叫んでもムリ。それに本人は保険料を
納めてきて受給の権利はある。それをどうやって剥奪する? 言葉の綾とは言え「払う
のが嫌なら殺せ」となると、裁判無用? 誰が患者を殺す? ですよね。
日本の透析患者は、2014年で32万人を超えています。データでは、その内、年間2万
人が亡くなり3万人が透析導入。患者は毎年、約1万人 増えています。国民皆保険の日本
ですが、この儘では少子化と寿命の伸びで、健保破綻は遠からずやってくるでしょう。
月額290万円という癌の治療薬も保険適用になり、財政危機はいよいよですが、透析
に限って言えば腎移植という軽減手段があります。しかし、日本の
「臓器提供」は、本
当に少ない。
年毎の提供数はこう↓です。年間125万人も亡くなる日本でこの数字です。
http://www.jotnw.or.jp/datafile/offer/index.html
2012年・110、2013年・84、2014年・77、2015年・91、2016年は9月末で72・・。
勿論、提供は自由で、事情によって出来ない場合も多いでしょう。本人が提供カードを
持っていても、葬儀が進んでしまうこともありそうです。
でも、医学への解剖実習に使われる
「献体」は、大学へ申し込んでも 順番待ちとか、
受付停止、クジ引きとか押すな押すなの大盛況。東京 87大学加盟の篤志解剖全国連合会
によると、
献体登録者数は、2014年で「26万5886人」です。
これほど献体に人気があるのは、医学貢献という尊い理由が最優先、と思いますが、
臓器提供の少なさを思えば、解剖後、遺体の搬送も火葬も法要も、望めば納骨もタダ。
つまり墓地も供養も心配なし、というメリットも関係しそうです。
献体する人たちに、「臓器提供を選ばなかった理由。献体希望の最大の理由」をアン
ケートしたい気分です。腎移植すれば、平均余命は透析の倍も伸びるのに、臓器提供の
キャンペーンは、何処で どう行われているのでしょう。
透析は週三回、毎回5時間も掛けて血液を浄化し 尿や老廃物を取り除きます。透析は
人工腎臓ですが、ナマの腎臓には僅か及ばず、ひどい倦怠感や掻痒感など悩む患者が少
なくありません。透析は、腎移植しない限り一生続き、家族にも苦悩が及びそうです。
提供が少なく移植希望登録しても実現せず、親族間での腎移植は、年間1000例を超え
ています。しかし、外国では、癌などで摘出し捨てられる腎臓で、癌が小径であれば 修
復して使える病腎移植が行われています。でも、日本は2007年に禁止された儘です。
臨床研究を徳洲会が行ない、先進医療専門家会議に何度か申請していますが、容認さ
れません。
病腎移植には、日本移植学会・日本泌尿器学会・日本透析医学会・日本臨床
腎移植学会・日本腎臓学会が 反対しています。外国で行われているのに何故でしょう?
親族間の腎移植で小径でも癌があれば、折角のドナーの腎臓も移植せず捨てられる。
患者もドナーも地獄です。日本移植学会は「世界で禁忌」と言い乍ら「移植可能なら、
自家腎移植で本人に戻すべき」とのたまう。矛盾に動ぜぬ狡猾さに呆れます。
人気の献体ですが、勿論「美徳」です。でも「納骨までタダ」で応募する人も有る。
死後を頼める人が皆無なら、献体は格好の選択肢のです。でも、豊かに暮らし家族もい
るのに「断捨離も済ませ、献体登録もした」と誇らしげにいう人が、何人もいました。
しかし、臓器移植でしか普通の体に戻れない患者が大勢いるのです。人は、数知れぬ
人々の創意工夫で快適に暮らしています。その恩は 到底 返せるものではありません。
臓器提供は、それに代わる見知らぬ人への恩返しにもなるでしょう。
死後の体でも人の命を救えれば、患者さんも家族もどれほど幸せになることか、計り
知れません。臓器提供で救われた人の声を聞いて下さい。今はボランティアに行く人も
多いけれど、
「臓器提供」は、死後でもできる「究極のボランティア」です。
長谷川さんは、不摂生な患者だけを責め立て、「透析している患者が救われる臓器提
供」には言及なさらなかった。問題提起はされたけど、じゃ、どうすれば透析患者が救
われ、透析者が減るのか、それについては叫ばず仕舞いです。
そこまで追求していれば「殺せ」という必要もなく、信頼度の高いアナウンサーの
発言は人々に影響を与え、臓器提供の理解や増加に繋がり、番組降板には到らなかった
かも知れません。これを機に、今後は話を「臓器提供」へと繋げて頂きたいです。
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