函館百景もいよいよ最終回。
とはいえ、最後に投稿してから何年たってんだって感じだけどね。
当時の写真がなかなか見つからなかったし、もうその5を書くときはなんだかへとへとになっていたんだよね。
とにかく、最終章と写真、ゆっくり楽しんでください。
テーマ曲:リチャード・クレイダーマン『午後の旅立ち』
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朝起きて、ホテルの窓を眺めると、快晴。
またも暑そうである。
避暑の意味、全然なかったとでも言えようか。
掛け布団で或る白い布がひっくり返っている。
寝相が悪いのは相変わらずらしい。
急いで着替え、荷物を全部持って下に降りると、朝の食事はすでに準備できていた。
バイキングである。
食べられれば何でもよかった。
が、朝はクロワッサンがメインで、コメはどちらかというと陰に隠れがちなメニュー。
種類の多さに惹かれてパンを選んでしまった。
外はさくり、中はふんわりといった感じで、理想的なパン料理だったが(まあユダヤ系のパンは酵母のないパンが良いものとされているし、人それぞれか。)、少々食べすぎて、その後のひねりだしに時間がかかって大変だった。
自分には『バイキングの楽しみは、たらふく食べること』という達観があり、今回もそれに従って、腹がパンパンになるまで食べた。癖である。だから食堂からトイレまで、ちょっと腹が重くて大変だった。
ひねりだしたら、比較的すっきりしてきたので、朝日が差し込み、明るくなった銀の受付で、チェックアウトをした。
とはいっても、ごく普通の態度で、あまり印象にない。
北海道の朝を味わうのは初めて。
ただ僕の頭の中は、五稜郭に行った後、特急で札幌まで行くというプランが既にできている。
正午には函館駅を出てしまうため、その次の五稜郭駅で乗ろうかとも考えていた。
ところが、五稜郭からJR五稜郭駅までは歩いても30分以上かかり、経由するバスの本数も少ないという。
仕方がないから五稜郭に行った後、引き返して札幌駅で特急に乗ることにした。
函館の商店街を通って北に行き、五稜郭公園に行けばたどりつける。
地図で確認した限りはそうだったが、それは長い長い。
郡山の街並みを通った時がそうだったように、くすんだ高層ビルが幾度も続き、いつ歩き終えるのか、と不安であった。
日帰り旅行は何べんもしてきたので、歩くうえで持久力の自信はあったのだが、それを見事に砕かれた感じである。
ホテルからおよそ20分。
バーガーショップを通り過ぎて、やっと五稜郭に到着した。
もともと西洋の城郭を意識しただけあって、堀の形も特殊といえる。
橋から見ると、普通の堀に見えるが。
こういう場合、展望台から登って俯瞰するに限る。
一旦展望台の入り口を通りすぎ、なかの植物園とも思しき、草木が周りに茂っていく場所を通る。
土方歳三の銅像。
写真よりも老けた顔。
挙句雨が酸を帯びていたのか、銅像が溶けたかのような跡がところどころ残っている。
かっこも何もあったもんじゃない。
いったん外へ出て、それから五稜郭の中心部へと行く。
整地されているが、そこには草っぱらと砂利道ばかり。
そのまま歩いて行く。
そこには、2010年にオープンしたばかりの、箱館奉行所がある。
もちろん、箱館奉行所は現地の行政や防衛などを司っていた。1864年に落成したこの建物は、 箱館戦争で旧幕府軍の拠点となり、明治になってから解体された。
今回再建された奉行所がレプリカである以上、ある意味想像の産物でしかないが、それでも中に入ると意外に密度が濃く、1時間ほど費やしてしまった。
小ぢんまりとした外見に合わない、濃い展示物をセットしていたようだ。
もちろん中は当時と異なって電気が通っており、歩きやすくなってはいる。それでも靴下で歩くと滑りやすい。
トイレもそれらしく作っている。
つややかな檜の床で足を滑らせないようにしながら、ゆっくりと歩いて行った。
達筆な掛け軸はもちろんレプリカだが、御家人の身分を金で買った榎本武明の教養をうかがわせる。
『四稜郭』は五稜郭のミニサイズといった感じだが、総攻撃の際あっという間に陥落したという。
いつかその跡地にも行けるだろうか。
当時の大砲もセットしてある。
その後で長い道のりを戻り、函館展望台へと急ぐ。
なにしろ時間がないのである。
目玉はこっちだ。
そこから五稜郭を俯瞰してみる。
おまけに高いところが好きなのである。
展望台へ行くまでのエレベーターは、締め切っていて窓が見えない仕組みになっている。
移動中は照明を暗くし、榎本武明や大鳥敬介、土方歳三と行った北海道共和国の重鎮の写真が写る。
郡山駅近くの展望台に行ったことはあるが、あそこはエレベーター移動時の音がうるさくてかなわなかった。それに比べると静かだが、幻想的・・・というにはほど遠い。
それに一時ではある。
展望台から見える景色の方が、絵にはなる気がした。
展望台は五稜郭の中ではなく、外に設置されているため、五稜郭の全景がすべてみてとれた。
綺麗な星型である。
誰が設計したのかは不明だが(もちろん外国人をブレーンにして、榎本武明が設計したんだろうが)、随分と美しく仕上げるものである。
展望台はご多分にもれず、円形上の作りになっており、そこから周りの景色が見れるようになっている。
そこには展示物をおいてある。
箱館共和国の人々と、箱館奉行所の人々、さらには五稜郭の戦などを描いたミニチュア。
外の景色に比べると華がないが、それでも良く見ておいて、撮るに限る。
観覧料1000円を無駄にしないと決め込んでいて、なるべく元手を取りたいと思っていた。
それから、周りの景色を見てみる。
内陸もいい。
だが、広がっていく海が、のちの横浜旅行でも自分の心の琴線に触れるのだが、函館東部の海もしかり。
海が、奥に半島が、広がっていく世界を見せている。
遠くへと旅立ちたい。
そして、見知らぬ様々な景色を見てみたい。
これが自分の生きがいと、生きた証になる気がして。
その第一歩として、函館を選んだ。
海が見られただけでも、よかった気がする。
でもそれ以上に、函館の街並みが見られたのがうれしい。
ふと、太宰治の『雪の夜の話』のフレーズが浮かんだ。
「人間の目玉は、風景を蓄えておくことができると、兄さんが教えてくださった。」
現実の人間も、蓄えられるだろうか。
死ぬまで蓄えられるだろうか。
自分は写真と景色を通じて、生きた証を求める。
飛ぶが如く。
この写真が、函館最後の手土産である。
こういうのをなんというか。
翔ぶが如く。
翔ぶが如く。
日常から出て、親からも仕事からも離れて、函館へ行く。
函館から出立し、その後札幌へ行って帰り、またいつもの日常へ戻る。
自分と同じである。
函館を旅立つ電車に乗る直前、妙にさびしい気分になった。
いつかまた、この地に来ることはあるだろうが。
その時のために、函館中心の景色はすりこんでおくに限る。
函館さん、さようなら、お世話になりました。
パシャリ。
駅前のキオスクでジャンプを読み、『銀魂』を読んだが、コンテが荒い荒い。
函館の百景とは正反対なような気がした。
やがて特急車両が来る。
空色の電車に乗って、僕は函館を後にした。
出発した車窓からの函館の景色は、東北の街並みと変わっていない。
が、特製ある街並みといえた。
終わり
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