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2016年10月06日14:06

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函館百景 その5(最終回)

函館百景もいよいよ最終回。
とはいえ、最後に投稿してから何年たってんだって感じだけどね。
当時の写真がなかなか見つからなかったし、もうその5を書くときはなんだかへとへとになっていたんだよね。
とにかく、最終章と写真、ゆっくり楽しんでください。


テーマ曲:リチャード・クレイダーマン『午後の旅立ち』




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 朝起きて、ホテルの窓を眺めると、快晴。
 またも暑そうである。
 避暑の意味、全然なかったとでも言えようか。
 掛け布団で或る白い布がひっくり返っている。
 寝相が悪いのは相変わらずらしい。
 急いで着替え、荷物を全部持って下に降りると、朝の食事はすでに準備できていた。
 バイキングである。
 食べられれば何でもよかった。
 が、朝はクロワッサンがメインで、コメはどちらかというと陰に隠れがちなメニュー。
 種類の多さに惹かれてパンを選んでしまった。
 外はさくり、中はふんわりといった感じで、理想的なパン料理だったが(まあユダヤ系のパンは酵母のないパンが良いものとされているし、人それぞれか。)、少々食べすぎて、その後のひねりだしに時間がかかって大変だった。
 自分には『バイキングの楽しみは、たらふく食べること』という達観があり、今回もそれに従って、腹がパンパンになるまで食べた。癖である。だから食堂からトイレまで、ちょっと腹が重くて大変だった。
 ひねりだしたら、比較的すっきりしてきたので、朝日が差し込み、明るくなった銀の受付で、チェックアウトをした。
 とはいっても、ごく普通の態度で、あまり印象にない。


 北海道の朝を味わうのは初めて。
 ただ僕の頭の中は、五稜郭に行った後、特急で札幌まで行くというプランが既にできている。
 正午には函館駅を出てしまうため、その次の五稜郭駅で乗ろうかとも考えていた。
 ところが、五稜郭からJR五稜郭駅までは歩いても30分以上かかり、経由するバスの本数も少ないという。
 仕方がないから五稜郭に行った後、引き返して札幌駅で特急に乗ることにした。


 函館の商店街を通って北に行き、五稜郭公園に行けばたどりつける。
 地図で確認した限りはそうだったが、それは長い長い。
 郡山の街並みを通った時がそうだったように、くすんだ高層ビルが幾度も続き、いつ歩き終えるのか、と不安であった。
 日帰り旅行は何べんもしてきたので、歩くうえで持久力の自信はあったのだが、それを見事に砕かれた感じである。


 ホテルからおよそ20分。
 バーガーショップを通り過ぎて、やっと五稜郭に到着した。
 もともと西洋の城郭を意識しただけあって、堀の形も特殊といえる。
 橋から見ると、普通の堀に見えるが。
 こういう場合、展望台から登って俯瞰するに限る。


 一旦展望台の入り口を通りすぎ、なかの植物園とも思しき、草木が周りに茂っていく場所を通る。
 土方歳三の銅像。
 写真よりも老けた顔。
 挙句雨が酸を帯びていたのか、銅像が溶けたかのような跡がところどころ残っている。
 かっこも何もあったもんじゃない。


 いったん外へ出て、それから五稜郭の中心部へと行く。
 整地されているが、そこには草っぱらと砂利道ばかり。
 そのまま歩いて行く。
 そこには、2010年にオープンしたばかりの、箱館奉行所がある。


 もちろん、箱館奉行所は現地の行政や防衛などを司っていた。1864年に落成したこの建物は、 箱館戦争で旧幕府軍の拠点となり、明治になってから解体された。
 今回再建された奉行所がレプリカである以上、ある意味想像の産物でしかないが、それでも中に入ると意外に密度が濃く、1時間ほど費やしてしまった。
 小ぢんまりとした外見に合わない、濃い展示物をセットしていたようだ。


 もちろん中は当時と異なって電気が通っており、歩きやすくなってはいる。それでも靴下で歩くと滑りやすい。
 トイレもそれらしく作っている。
 つややかな檜の床で足を滑らせないようにしながら、ゆっくりと歩いて行った。
 達筆な掛け軸はもちろんレプリカだが、御家人の身分を金で買った榎本武明の教養をうかがわせる。


『四稜郭』は五稜郭のミニサイズといった感じだが、総攻撃の際あっという間に陥落したという。
 いつかその跡地にも行けるだろうか。
 当時の大砲もセットしてある。


 その後で長い道のりを戻り、函館展望台へと急ぐ。
 なにしろ時間がないのである。
 目玉はこっちだ。
 そこから五稜郭を俯瞰してみる。
 おまけに高いところが好きなのである。


 展望台へ行くまでのエレベーターは、締め切っていて窓が見えない仕組みになっている。
 移動中は照明を暗くし、榎本武明や大鳥敬介、土方歳三と行った北海道共和国の重鎮の写真が写る。
 郡山駅近くの展望台に行ったことはあるが、あそこはエレベーター移動時の音がうるさくてかなわなかった。それに比べると静かだが、幻想的・・・というにはほど遠い。
 それに一時ではある。
 展望台から見える景色の方が、絵にはなる気がした。


 展望台は五稜郭の中ではなく、外に設置されているため、五稜郭の全景がすべてみてとれた。
 綺麗な星型である。
 誰が設計したのかは不明だが(もちろん外国人をブレーンにして、榎本武明が設計したんだろうが)、随分と美しく仕上げるものである。
 展望台はご多分にもれず、円形上の作りになっており、そこから周りの景色が見れるようになっている。
 そこには展示物をおいてある。
 箱館共和国の人々と、箱館奉行所の人々、さらには五稜郭の戦などを描いたミニチュア。
 外の景色に比べると華がないが、それでも良く見ておいて、撮るに限る。
 観覧料1000円を無駄にしないと決め込んでいて、なるべく元手を取りたいと思っていた。

 それから、周りの景色を見てみる。
 内陸もいい。
 だが、広がっていく海が、のちの横浜旅行でも自分の心の琴線に触れるのだが、函館東部の海もしかり。
 海が、奥に半島が、広がっていく世界を見せている。


 遠くへと旅立ちたい。
 そして、見知らぬ様々な景色を見てみたい。
 これが自分の生きがいと、生きた証になる気がして。
 その第一歩として、函館を選んだ。
 海が見られただけでも、よかった気がする。
 でもそれ以上に、函館の街並みが見られたのがうれしい。
 ふと、太宰治の『雪の夜の話』のフレーズが浮かんだ。
「人間の目玉は、風景を蓄えておくことができると、兄さんが教えてくださった。」
 現実の人間も、蓄えられるだろうか。
 死ぬまで蓄えられるだろうか。
 自分は写真と景色を通じて、生きた証を求める。
 飛ぶが如く。


 この写真が、函館最後の手土産である。
 こういうのをなんというか。
 翔ぶが如く。


 翔ぶが如く。
 日常から出て、親からも仕事からも離れて、函館へ行く。
 函館から出立し、その後札幌へ行って帰り、またいつもの日常へ戻る。
 自分と同じである。
 函館を旅立つ電車に乗る直前、妙にさびしい気分になった。
 いつかまた、この地に来ることはあるだろうが。
 その時のために、函館中心の景色はすりこんでおくに限る。
 函館さん、さようなら、お世話になりました。
 パシャリ。


 駅前のキオスクでジャンプを読み、『銀魂』を読んだが、コンテが荒い荒い。
 函館の百景とは正反対なような気がした。
 やがて特急車両が来る。
 空色の電車に乗って、僕は函館を後にした。
 出発した車窓からの函館の景色は、東北の街並みと変わっていない。
 が、特製ある街並みといえた。


終わり
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