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2016年10月03日12:35

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昔はタッチのようなことが起こりえた

 あだち充著「タッチ」はたまたまその年、いい選手、特に投手がその高校に在籍してくれたので、甲子園に出れたというお話は昔よくありました。一昔前は今ほどスカウト網が充実しておらず、地元の子供は地元の高校に通学したからです。

 例えば1972年と1983年に甲子園に出たことのある山梨県立峡南高校は72年の夏の時は後に日本楽器→タイガース→オリオンズとプロでも活躍した深沢、83年の春はオリオンズに在籍した伊藤史生のようにプロに入団できるくらいの選手がいたおかげで甲子園に出れたんです。二人とももちろん、地元の身延町です。峡南高校は今やかつての強豪だったと信じられない程弱体化しており、部員数も十数名しかいません。

 富士吉田市の吉田高校も3回甲子園に出ていますが、そのうち2回は田辺や井出のように後にプロで活躍できる逸材がいてはじめて甲子園に出場できたのです。もちろん、この二人もj元出身です。井出に限ってはエースで4番、まさにチームの大黒柱でした。
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