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2016年09月27日23:08

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金城哲夫さん。

■ウルトラマンの原案者、金城哲夫の脚本賞を創設
(朝日新聞デジタル - 09月27日 16:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4213098


今更ワタシごときが色々書くまでもない、ウルトラマンの生みの親ですねこの方。
その実績からすればもっと早く彼の名を冠した賞があってもおかしくなかったんですが、晩年の不幸な出来事の連続が恐らくそれを許さない雰囲気にしたんかな・・・

彼が非難されるきっかけになった、ラジオでの自主防衛どうこう発言。
戦争を賛美するなんて抗議が沢山きたそうですが、盟友の上原正三さんはどうしても納得出来なくて事実関係調査しようとしたんだそうです。
でも放送したテープが残っておらず、ディレクターも鬼籍に入ってた・・・なんかこう怪しい匂い感じるんですね。金城さんはめられたんちゃうかなと。
上原さんは「気持ちの整理のつかないまま言葉足らずになっただけで、彼の本意ではないはずだ」と結論づけてます。
それは金城さんが戦火を逃げ回り、お母さんが片足を無くされたあまりにも過酷な幼少期の体験を、上原さんはお母さんの遺された手記を見て知っていたから。
金城さんは本気で基地沖縄を危惧していたのてす。

生前彼の残した日記にこういう記述があります。
「「国を守る!」という大義名分は判るが、そのことのために、民衆が再び壊滅の道を辿るようなことは絶対に避けねばなるまい。」

上原さんは金城さんの伝記を本にするにあたって、彼の戦争観が記されているこの日記の内容を全て公開されました。
そうすることで、彼にかけられた不名誉を少しでも挽回しよう、そういう想いが上原さんにはあったと思います。

沖縄海洋博での苦難の日々も克明に記されました。
上原さんは一度だけ、彼の海洋博でのお仕事ぶりを見に沖縄に帰郷されたそうです。
金城さんの様子を見た上原さん「なんだ、元気にやってるじゃないか」と安堵したのも束の間、奥様から「お酒だけは与えないで下さい」と懇願されて、そんなに酷いのかと愕然とされたそうです。
この時、既にアルコールに体を蝕まれていたのでした。
そして閉会後間もなくの無念の死。

金城さんは、沖縄とヤマトとの架け橋になろうと本気で活動なされてたそうです。
金城さんから見て、今の沖縄はどう写るんでしょうか・・・彼の思い描いた方向と反対向いてるような・・・彼が望んだのはこんな状況では無かった筈なんですが。


ウルトラマン33話で、メフィラス星人に「お前は地球人なのか宇宙人なのか」と問われて、ハヤタ隊員はこう答えます。

「両方さ」

あの台詞、彼の願望が出たんやなと今にして思います。
お互い手を取り合い未来に歩く、ウチナーとヤマトの人たち・・・




今回こういう賞が創設されて、彼の遺志を継ぐ人がこの賞をとったら、彼は地下で大いに喜ばれると思います。
出来たら彼の奥さんや上原さんの存命なうちに、そういう光景を見たい。
ウルトラマンという作品に散々お世話になった、一視聴者からの願いです。
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