本来の日本の文化での「謙譲」や「尊敬」の念は、より相応しく言えば「相手を奉る」モノでは無く、『一線を引く』文化である。
要は、他者の価値観や領域に土足で踏み込む事はしないという意思を、「一歩引く」事で表すモノなのだ。
そして其れは、客にも主人にも同様に適用され、だからこそ其処をわきまえない輩を「野暮」等と称した。
しかし天災の多発する日本では「相見互い」の理念があるので、「排除」は起きなかったし、また、実際に災害の中での相互援助が自然と身に付くので、其の枠を超えて我儘を言う人間等は育つ事も無かった。
自由主義的な大正デモクラシーは関東大震災で終わったし、其の震災時に朝鮮人虐殺は起きた。(別に朝鮮人が悪人と言う意味では無く、「異分子」としての「価値観の共有」が希薄で、朝鮮コミュニティでの文化の保持による同化の傾向も薄かった事が原因と思われる)
「思いやり」と真逆の感性が「利用」だ。
■「お前は客じゃない!」外資系企業の支配人がクレーマーを一喝 「お客様は神様」ではスタッフを守れない
(キャリコネ - 09月23日 16:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4207315
ログインしてコメントを確認・投稿する