mixiユーザー(id:38378433)

2016年09月21日08:32

317 view

現代の支配と被支配の歴史は、【個人の意識を舞台に、いかに意識を乗っ取るか、防ぐか】の構図で行われていると観る

●現代の支配と被支配の歴史は、【個人の意識を舞台に、いかに意識を乗っ取るか、防ぐか】の構図で行われていると観る

歴史は、常に支配は、恐怖、強制というものを多用してきた。
それが最も手っ取り早かった。

(独占資本流の議会制民主主義社会というのは、一見自由意志による選択のようで『時計仕掛けのオレンジ』という手法がとられる。
自由意志による購買のようで陳列棚には毒入り饅頭しか並べないケース、
八百長選挙集計機、
メディア支配による洗脳、
受刑者が自由に刑務所と外部を行き来できるようで、殺し屋が暗躍するケース、etc・・・)

日本の恐怖支配は、近年では、治安維持法、秘密警察特高、憲兵、警察国家、天皇制、日本軍国主義、・・・・。

どれもこれも、拷問、獄死、暴力的だ。法律という強制手段を作り、恐怖と暴力で屈従させ、
内面は、洗脳により、天皇陛下万歳、の思想で縛り上げる。

日本国憲法になり、法的に、外からのこのような拘束は取っ払われた。
だが、長年しばりあげられた人間の内面の継承は、内面の継承文化は、日本国憲法などそっちのけで解放されずにきた。

外からの拘束は法制化で締め上げることを積み上げてきたが、日本国憲法が邪魔してきた。
内面を拘束する、自分で、自分たちで抑圧する文化は、日本国憲法のもとで一定の解放は実現したが、停滞し、

逆に日本人は、法的にさまざまな拘束を積み上げられ、内面の意識を真綿で首を絞めるように縛られ続けてきている。

もうかなり縛り上げられた。外堀の法制化は、公務員のスト権剥奪、破防法、国家国旗法、特定秘密保護法、集団的自衛権解釈改憲、戦争法まできた。残るは、とどめの領域に入ってきた。

共謀罪、緊急事態条項改憲。

これで、一巻の終わりだ。
秒読みである。

ここでふり返ってみたい。

外からの強制でがんじがらめになる前に、これをひっくり返す道はあるのかを。

●支配する側の最大の難敵は、人間個人の、内面の意識だ。これを制御できないから、外から縛り上げることをしなければならなくなっている。

もし、人間個人の内面の意識が、その外部からの拘束を以っても縛り上げられないものなら、
外部からの強制は、無力だ。

この場合、その人間を永久に拘束するとか、抹殺するとかいう手段をとる以外なくなってくる。
国家による救済外の位置づけにして放置するというのもあるだろうが、それも抹殺の一形態だ。
死を賭して内面の服従を拒否した者たちは戦前戦中にもいた。
多くはない。

結局、いかなる外部からの強制手段を人間個人に課しても、個人がボイコットすれば無力だ。
ましてや命に賭けてボイコットするようになれば支配者は手も足も出ない。
国民全てがそうなれば、国民すべてを抹殺するしかなくなるが、それでは国家が成り立たない、自分も亡びる。

真綿で首を絞めるように、強制手段の法制を行い積み上げ、個人がその高圧電流の流れる電線に触れることなく、どんどんリング中央に偏っていくように、支配者は個人の個人による自己抑制を狙って、発動もできない、やりにくい、強権的法律を積み上げていく。

こうして、リング中央でほぼ固まったころを見計らって、一網打尽に縛り上げる鋼鉄の檻を、天井からどっすーんと落してくる。

緊急事態条項改憲は、まさにその鋼鉄の檻だ。

●ようするに、個人の最も弱点とする、恐怖、その恐怖を司っている「内面の意識」というものは、弱点であると同時に、裏を返せば、ここが、支配を跳ね返す、支配者が直接どうしても縛り上げることのできないカプセル化した領域なのだ。「内面の意識」こそは、支配者が、強制手段によって手を触れることができず、個人そのものの、「内面の意識」自身によって、自己抑圧するという経過をたどらなければ、内面を制御できない。「内面の意識」を縛り上げるには、その個人の「内面の意識」そのものを使って、最終的には本人自身が自己抑圧で縛り上げる以外ないのだ。

洗脳というのは、この、本人自身の自分を縛り上げる自己への抑圧を、「内面の意識」をマヒさせて、麻酔注射して、効かなくさせるものと解してよいと思う。

いかなる支配からも解放されるヒントがここにある。

己の「内面の意識」さえ、洗脳に打ち勝ち、はねかえし、かつ、恐怖に打ち勝ちはねかえしさえすれば、外からの支配は無力になる。

どうすれば、「内面の意識」が、そうした恐怖をはねかえせるか。

展望だ。

ここを蹴飛ばせばあそこが飛び出るという、事実の連鎖(事実の連関)を、時差を意識して展望し、その先をデジャビュできれば、論理的帰結として認識できれば、内面は奮い立つ。

人は時にこの現象を「希望」と訳すが、それは情緒的価値判断の世界の言葉であって、事実の連関にまでたどり着いていない文学的な表現と言える。

内面を支配されないことこそ、権力、から、解放される唯一の道だ。

権力が最も恐れる個人の抵抗の姿だ。

【了】



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する