mixiユーザー(id:3164638)

2016年09月17日16:12

193 view

グラフィックインターフェースの話に近いのでは?

 PCのグラフィックインターフェースの話に近いのでは?。
昔、パソコンよりも前の時代、マイコンと呼ばれたコンピュータを起動させるには、スイッチの他に起動コマンドを専用の言葉で入力しなくてはならず、データを一覧にしたい場合などは、それ専用のコマンドをユーザーがおぼえて入力しなくてはいけませんでした(今のデスクトップに並んでいるなんで考えられない時代でした)。
マッキントッシュの「データのアイコンをクリックすると、適切なソフトが勝手に起動し始める」いまの様式が、PCが世間一般にかなり普及するようになった一因です。


 これと共通して、イメージしづらい物を目に見える形にするという利点がマンガにはあります。
仮に同じ日本という国でも、時代が違えば文明も価値観も異なるわけで、場合によっては異国の話に聞こえていた日本史も、イメージなり因果関係がわかれば、かなり分かり良い話しに感じたものです。
もとは歴史ぎらいな人間でしたが、横山光輝氏の三国志のおかげで、かなり改善されたました。


 問題があるとすれば、2つ。

1つ目は、絵によって良くも悪くもイメージが誘導されてしまうこと。
文字だけでイメージした人物像と、絵から受けた印象で受けた人物像とで受ける印象が異なれば、異なるものをイメージしてしまうことになります。
筆者が描きたい物が再現できているか(国語のテストでよくある、筆者が言いたいことは何か)、に関わってきます。
それと活字でイメージすると想像力が養われますが(内容の理解とは別の労力も強いられているわけですが)、その機会を失いがちであること。


 2つ目は、絵によるエンターテイメント性が強くなりすぎる可能性。
絵にばかり気をとられて、ストーリーや内容に目が行かなくなることです(小説を重んじてマンガを毛嫌いする人は、ここと原作の再現性にひっかかるのでしょう)。
上述の横山光輝氏の作品のように、硬派(内容を描くことに重きをおいている)なものならいいのですが、作品を売り込むために、必要以上のクオリティの絵で、かえって読み手がそっちに夢中になってしまい、「物語や内容を理解させる」という目的から遠ざかってしまうことです。


 ストーリーの向上に伴なって、マンガから得る物も増えたと思います。
ただ、読んで堕落してしまうパターン、知識や何か培えたパターンとをよく観察して、ある程度の体系化をしない限り、個々の人達の意見が散見されるだけで終わってしまう気がします。

確かに記事の通り、履歴書の趣味欄や面接において、読書に入れていいほどの社会的地位はまだ獲得していないような印象です。





■漫画は読書の範疇に入るのか ネットで議論、「読み手が想像を働かせないから読書ではない」という声も
(キャリコネ - 09月17日 10:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4198339
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する