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2016年09月12日23:41

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昔の京成杯AHを振り返る。

ロードクエスト1番人気Vジンクス破る/京成杯AH
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4188773


https://youtu.be/vL_u7Xl79qk

そんなわけで久々に当たり馬券にありつけました。一番人気から流して馬連二千円ついたらおいしかったんかな。

小島茂之調教師のブログには、調子が良くて夏競馬使おうか迷ったと書いてありました。
向こう正面からまくりをかけた時、他の馬と手応えがまるで違いました。
レベルの高い2016クラシック戦線組、古馬初挑戦でもハンデ55キロでこの相手なら力が違ったということでしょう。正に横綱相撲でした。
直線ちょっと鞭入れただけでこの余裕。やはりマイルでこその馬でしょうね。

この後は富士ステークスからマイルCSだそうで、変に天皇賞なんて色気を出さないところがよろしい。
多分エアスピネルとリオンディーズを倒さなアカンので(メジャーエンブレムは年内復帰は無理そう)かなりしんどいんですが、社台ばっかりじゃ面白くないもんね。故障だけには気をつけて頑張ってほしい。



このレース、京成の沿線にある中山競馬での開催なので京成杯とタイトルがついてますが、昔は府中で行われててそれが中山に移ってからもタイトルに残って「京王杯AH」と名乗ってました。
これじゃ不自然ってんで今の名称に直したわけね。
その京王杯時代の、印象に残るレースをいくつか拾ってみました。



https://youtu.be/9Jw9i3kGjrs

1985年、その年の桜花賞馬エルプス、初の古馬相手も全く苦にせず逃げ切り。
実力のわりに評価の低い馬でした。この時代、いきなり秋に三歳牝馬(当時は旧表記で4歳でした)が古馬に勝つなんてのは大変なことだったんです。


https://youtu.be/5qQdA7r5ZD0

1987年、ダイナアクトレスのレコード勝ち。
クラシック戦線ではあのメジロラモーヌの同期でしたが体質が弱くて勝負にならず、古馬になって秋にようやく本格化。
この後毎日王冠で古馬の一線級をまとめてごぼう抜きにし、女傑の名をほしいままにしました。
能力は間違いなくG1級でしたが、ちょっとしたことでプッツンしやすくG1ホースにはなれなかった。
アクトレスって名前は、女優の南田洋子さんが共同馬主の一人だったことからの由来。
子孫としてステージチャンプ・スクリーンヒーローなどが彼女の血を受け継ぎ、スクリーンヒーローは見事彼女の無念を晴らしました。



https://youtu.be/LKbqb958o1M

1989年、これは忘れられんなー・・・
マティリアルって馬はシンボリ牧場の秘蔵っ子と言われた馬で、和田オーナーと田中調教師が心底惚れ込み将来をかけたんですが、かのスプリングSの脅威の追い込みの後は不振続き。
前の年まで好き放題やらかした和田オーナーに競馬サークルが鉄槌を下し、皐月賞は内枠で包まれ三着・・・(枠順は故意に決めるなんてこと信じられんですが、そんな噂がまことしやかに囁かれるほど和田オーナーは嫌われてたのです)以後はスランプに陥り全く走らず。
和田オーナーはマティリアルを見放したのか、彼の手から解放されて以後田中調教師の調整のもと徐々に復活の兆しを見せて、この京王杯に挑んだんですね。

レースは積極的な先行策から抜け出して、二年ぶりの勝利。
上記の境遇が思い起こされたんでしょう、岡部騎手には珍しいガッツポーズ。
しかしこの後、彼には悲劇が待っていたのでした。予後不良で手術の甲斐なく天に召されてしまった・・・
彼の同期のクラシック組、特に彼を含む皐月賞の1〜3着はすべて早死。悲劇の世代と呼ばれたのです。
古馬になって名を成したのは、クラシック時には一介の条件馬だったタマモクロスと、地方から来たイナリワンでした。
勝った重賞は2つだけなのに、何故か印象に残るんですね。人間のエゴに振り回された悲劇の馬。
体調不良のダービーを止めてたら・・・言っても仕方ないことですが。

三着のホクトヘリオス、前年このレースで1年10ヶ月ぶりの勝利。(このときは新潟での代替開催でした)
同期マティリアルの弔いか、翌年には重賞二連勝してのけたのでした。
翌年のこのレースにも岡部騎乗で出走予定で(柴田善が騎乗停止のため)岡部さんの「馬優先主義」にもそのことが書いてましたが、実際のレースに彼の姿はありませんでした。
JRAが種牡馬として買い上げることが決まって、急遽の引退となったのです。
重賞5勝した馬は引退式の権利があるにもかかわらずやらなかったのは、こういうことなんですね。
種牡馬としては実績残せませんでしたが、1998年種付け中にに死亡するまでファンから大切にされて余生をすごしました。
人間もそうですが、運って何が幸いするか分からんもんです。早世した同期たちより長生きできたわけで・・・
思えば同期の二冠牝馬マックスビューティも、競争生活晩年は不遇だったし、繁殖牝馬として結果が出たのは子孫のココロノアイになってからでした。なんか1987年クラシック組は不遇の影がつきまとうんですね・・・


何が幸いするか分からんといえば、今回二着にきたカフェブリリアント。
戸崎が乗るからと早めにレース買ったんですが、なんと18キロの馬体増だったとか。
多分直前でこんなこと知ったら馬券から外してたでしょう。ホント世の中って分からない・・・
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