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2016年09月12日00:26

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一事が万事 

■山林で人骨見つかる=死体遺棄の可能性も―茨城
(時事通信社 - 09月11日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4188300

  「殺人事件報道」が惹起する「反射」。

  「感覚でものを言う」のは、たしかに庶民に付与された属性なのかもしれない。
  しかしながら、たとえばその対象が「交通事故」だった場合、「最近は車におちおち乗れない」  「どんどん交通戦争が酷くなってきている」などという「反応」は見受けられない。
  まあ、数字上も減ってきているのだけれども。
  
  「殺人」には、何か特殊な作用があるように見える。

  煽情的なメディアの罪もあるけれど、常日頃、新聞やTVといった「レガシーメディア」を軽蔑、   揶揄し、相対的にネットを持ち上げたがる人々ですら、ネットという武器を放棄しているような、  言動をするのが不可思議だ。
  
  40年前、30年前、20年前。人々の反応は「同じ」だった。
  世相に関わらず、だ。オイルショック、バブル、阪神淡路大震災・・・・・・。

  もし彼らの見立てが現実に合致していたのなら、殺人の被害者の数は後になるほど増加して  いなければならないはずではないか。 
  「現在」が、最も殺伐とした時代だとして、ならば「いつ」が平和で牧歌的な、戻るべき時代だったというのだろう。
  世情を嘆く人が、具体的にそれを語るのを見聞したことがない。

  言うまでもないが、彼らの「心理的事実」は、客観的な数字とは「真逆」なのである。
 だから、彼らの「危なくなっている」発言は、いうなれば「流言飛語」なのだ。
  
  ネットの普及は画期的な変化であったはずなのだが、人心ときたら・・・・・・と、暗澹たる気持ちになるのだ。
  このことについて、何度語ったかわからないけれど、「治安の悪化」を「体感」している心には、決して届かないのだろう。


  

   
  
  
  

  




  
 

 
  
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