
ゲルニカを模写したタペストリー(スペイン、ゲルニカ市)
Wikimedia Commons より。再利用条件:CC BY-SA3.0
けさ、NHKのラジオを夢うつつで聞いていたら、今日はピカソの「ゲルニカ」が本国に帰った日だ、ということである。よくまあ詳しいことまで調べるものである。
解説を加えると、「ゲルニカ」はスペイン内戦で独裁者フランコ総統を援護して、ナチスドイツ、ファシストイタリアがスペインのゲルニカ市を無差別空爆したことによる惨害を描いたものであるという。
しかし、私はこの絵に根本的疑問を感じる。
確かに「そう言われれば」そう見える。
しかし、もし、一億年経って、この絵が発掘されたとしたら、未来人は、これを「戦争の惨害」を描いたものと認めるだろうか?何らかの惨害を描いたものとは感じるかもしれない。しかしそれは津波や土石流のような自然災害を連想する可能性も大きい。
この絵に空爆の航空機は描かれていない。(空爆を明示する図像はない)その代わり、上部に「目玉」のようなものが描かれている。「プロビデンスの目」(万物を見通す目。ドル札に描かれているとされる。)だろうか?だとすると、伝えられているのと異なるメッセージが隠されている可能性もある。
戦争の惨害を伝えるものはキチンとキャプションのつけられた写真の方がはるかに有効だと思う。あるいは映画のフィルムはもっと訴求力が高いと思う。そういうものは山ほどある。私はそれらの方に、より大きな価値を認める。
もう10年以上前、テレビ東京だったかのドキュメンタリー(食に関するものだったと思う)を見た。これによると、ピカソは女性モデルを描く前に必ず犯したという。しかも、その精力を維持するために、闘牛場で殺された牛の睾丸を譲り受け、ニンニクで味付けして食べたという。実におぞましい、吐き気を催す話だ。
私はこの男を「軽蔑」する。
平和を訴える芸術として、「ゲルニカ」はすぐれたものとは思わない。
ログインしてコメントを確認・投稿する