人気落語家が“寅さん愛”を語り尽くす!
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今年は『 寅さん 』こと、俳優の故渥美清氏が亡くなられて二十回忌なんだそうな。
今でこそ寅さん・渥美清と言えばすっかり、葛飾柴又一色のイメーヂのある俳優であるが、
本来は、浅草の舞台を振り出しに駆け出したボードビリアンだった。
元々は浅草芸人さんである。ビートたけしや欽ちゃんの大先輩にあたる。
その寿司屋は、色街とドヤ街のちょうど境界線に位置していた。
忙しさの絶頂にいた人気者、寅さんこと渥美清が月に2度、3度訪れるほど
こよなく愛して贔屓にしていた寿司屋。
その店を訪れる時は必ず親友である、関敬六か盟友谷幹一を伴って
訪れていたという。
彼が若かりし頃、浅草で青春時代を送っていた頃から通っていた寿司屋。
気のおけない友人とだけ行くプライベートな店。
吉原遊郭の名残を残す寿司店。 『 満す美寿司 』
それは、吉原大門、見返り柳からあるいて2分のところにある。
浅草フランス座での下積みの時代、寅さんこと渥美清はよく関敬六と連れ立って満す美寿司へ食べに来ていたそうだ。「無口な渥美清の前でしゃべるのはいつも関やんだった」と明かしてくれたのは創業者の先代、お父さん。
創業者の先代は銀座亀八寿司で修行後独立して、この吉原土手で立ち食い寿司屋をオープンさせた。御年92歳のお父さんは最近まで現役寿司職人だです。
現在のの二代目さんと、創業者のお父さんは、昭和42年渥美清のニューオータニの結婚式に
出席するほどの仲だったそうです。
後に浅草六区のフランス座時代からの盟友、渥美清と関敬六とスリーポケッツを結成した谷幹一も駆出し時代の常連客。また、当時人気絶大だった五代目古今亭志ん生師匠の息子さん三代目故・志ん朝師匠もよく若い頃食べに来ていたらしい。

渥美さんが来ると、ここの席に必ず座られていたという場所です。
お店に入って少し左目のカウンターの席だったそうです。
聞けば、萩本欽一さんもこの席に座られていたようで、
浅草の芸能人の方々は少し正面から見切れた位置がお好きなようだ、と言ってました。
恐れ多くてアテクシはその席には座れませんが・・・。
さて、アテクシはこの店の"シンコ"が大好きです。
夏に一度は伺いたいお店であります。
さて、満す美寿司の道を隔てた対面に何故か『あしたのジョー』が立っています。
満す美寿司の裏は、ソープランドが広がる吉原色街だが、
その一本道を隔てると・・・
現在は、日本堤、清川、橋場と呼ばれるエリア。
しかし、かってはこう呼ばれていました。
ドヤ街、『 山 谷 』 と。
ドヤ街 とは「宿街」のひっ繰り返しの隠語で
簡易宿泊街を指す言葉でした。
あしたのジョーに登場する「 山谷 」はかなり酷いイメージで
戦後すぐくらいの炭住のような長屋が立ち並ぶ様で描かれていますが
アテクシが東京に出てきたときまで、少しまだそんな雰囲気が残っていました。
かって、アテクシは、学生の頃、ココでバイトしたことがありますた。
と、いっても「 台東区 」の仕事で、確か区議選挙か、区長選挙の
ポスター貼りのお仕事ですた。
選挙公示の板にポスタを貼っていたら、顔血だらけにした酒のニオイぷんぷん
させたヨイヨイのおっちゃんが近づいてきて、、、
おっちゃん:「あんちゃん、タバコ持ってないかい?一本恵んどくれよ・・・」
まんも:「アノ・・・マイルドセブンで宜しければ・・・」
一本出して差し出すと、箱ごと持ってかれたことがありますた。
東京は恐ぇトコだなぁと、その時はシミジミ思いますたw
今では、すっかりシャッターが閉じてシャッター街に成り果てた
昭和レトロなアーケド街を抜けると、ソコは 泪橋交差点。
明日のジョーの漫画の設定では、ジョーが所属する「丹下拳闘倶楽部」は
コノ泪橋のたもとにある設定でした。
つーか、今ではすぐ都の河川事務所からお達しが来て行政処分の上
強制撤去されるくらい有り得ない設定だったのですが、、
そもそも、ちばてつやと梶原一騎が描いた昭和40年当時には
泪橋とその下を流れる「思い川」は暗渠になっていてとっくに無かったのだそうです。
むりに実在させると地下3mの下水道下のアンダーグラウンドBOXINGジムということにw
ただ、戦前まで「泪橋」と思い川は実在していて、その昔江戸時代までは
小伝馬町の牢獄から籠に入れられて護送された罪人を、
仕置き場と呼ばれる刑場に送る橋だったのです。
現在では、泪橋は台東区と荒川区の境界線なのですが、
当時は、橋の向こう岸は「小塚原刑場」
現在でも地元の古いヒトたちは、そっから南千住の首切り地蔵まで
伸びる道のコトを「コツ(骨)通り」と呼ぶ爺さんや婆さんがいます。
罪人の家族はこの泪橋で処刑される家族を見送ったので
コノ名前になったのだそうです。
江戸時代までは、泪橋は「娑婆」と「アノ世」の境界線だったのです。
漫画あしたのジョーで老トレーナーである丹下弾平はこう言います。
「ジョーよ!ワシとお前で泪橋を逆に渡るんじゃ!」
コレは翻訳すると、オレとお前でアノ世から逆戻りするくらいの
奇跡を起こしてやろうゼ!と、こんな意味だったのです。
このエリア一帯は、今でも
「色街」と「ドヤ街」の境界、
「娑婆」と「アノ世」との境界。
『 生 と 死 』 の 色んな境界が交差するPOINTなのかも知れません。
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