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2016年09月01日02:51

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最近ネットで流行った言葉である

「人の最期」に携わる人々が語る「不謹慎な」裏話
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=4169234
「不謹慎」という概念が、改めて面白いと思った。

で、上手に商売に活用しているところは、なかなかの商売人ですが(笑)

この「不謹慎」という言葉は、価値判断がからむので、案外に厄介で、扱いにくい言葉で。
思い返してみると、71年間生きてきて、酔っていたり、無意識には出たことがあるかもですが、ワタシは意識しては、一度も使ったことのない言葉です。


うちの親父は、93歳と11か月で亡くなった、田舎の百万都市では、ちょっと名の知れた芸術家だったが。

あのクラスになると、晩年の生活そのものが、奇怪な周囲の思い込みというか誤解というか迷信で飾られてしまって。
もともとワタシとは違って優等生タイプで、見栄張りもあって、自分の意に反して、周囲の期待に応えようとする姿は、気の毒におもえることもあった。

ところが実際彼自身が不謹慎な男で、根は老いさらばえていく老人の不安反応なのだが、自分がチヤホヤされたい依存症があったために、親父がいろいろグチる話を、自分に都合よく受けとめた女弟子が、仲間の支持もとりつけて、彼を糟糠の妻から引き離しで、女弟子の家の庭に親父のアトリエを作って、親父を拉致する計画が立ちあがっていた。

なまじ死ぬ直前まで現役で大きな仕事を続けていた老人だったので起きた状況なわけで、夫婦の危険を察知して、単身赴任で、親元にワタシが帰ったときは、女弟子の「親切で、師匠思いの献身的感動の晩年看取り介護」という美談に、すでに街中が納得していて。


突然舞い戻ったワタシは、まったくの余計者で、100万都市の市役所からも、著作権継承者とは認められず、面とむかって「代理人がいるのに、貴方と話す必要はない」とまで、いわれた(笑)

街を歩くと、ろくに顔も覚えてないヒトたちからも、挨拶代わりに出る言葉は、「まだ東京に帰えらないんですか?」というものだった。

自分の芸には固執するくせに、社会的には「だれもの言いなりになる不謹慎な親父」は、コツを覚えると扱いやすいので、どうも街中のヒトたちから、愛されていたらしい(笑)

老人夫婦2人だけだと、日常のつまらないブツカリあいも、共にボケがはいっているから、どんどんエスカレートしてしまって。
世間の老々介護で殺人がおきるのは、川原での少年たちのイジメ暴行に、似ている気がする。

しかし息子がそばにいれば、エスカレートした乱闘も、息子はどっちに味方するわけでもなく、ただニヤニヤと聞き流しているだけで、毎日のありふれた夫婦の意見の違いに終わるわけで。
ワタシがいるだけで、夫婦の生活は穏やかさをとりもどしたわけだけど。

納まらないのは、ワタシに出入り禁止にされた女弟子で。

いろいろ復権を画策して、そのドサクサの心労で、お袋は急死した。

その1年後に、検査入院のつもりで入った某大学病院で、夏の暑い夜に、規則だからと空調を切られて、急速に体力を消耗して、親父もアッケなく死んだ。

2人とも歳に不足はないが、持って行き方によっては、老衰死までは、あと数年は生きる余力はあったように思えるが、ヒトは生き方の癖が、そのまま死ぬきっかけになるわけで。

お袋は、医者を信用しないで、それで死んだし。
親父は、医者に頼りすぎて、それで死んでる。



とまあ、かいつまんだ話だけでも、ヒトの死は、本人の人生が凝縮されて出てくる現象で。

ヒトの死にまつわるエピソードを、「不謹慎」などと話題にしたり裁断したりしていることは、我が麗しい故郷の善良なヒトたちとおなじよに、赤の他人だから出来ることで。

実際、芸術院会員クラスの芸術家というのはエゴの塊なので、多少世間体が良いヒトでも、、ほとんどが家族、特に子どもとの折り合いが悪く。
現に親父の親友だった芸術院会員は、長女を自殺においこんで、それが引き金になって急逝し。残った子どもたちは、そろって横向いてしまって、今では世間では名前すら聞かなくなっている。


ワタシはと言えば、親父が死んで15年たっても、それこそ「世間の不謹慎さ」との闘いは、未だに続いていて。

実は昨日のこと、親父の追悼イベントをやってくれてる2つの田舎の市役所から、作業する業者と我が家との関係に、特別の「癒着関係があるなら、それを優先するから、教えてくれ」みたいな電話が、それぞれ別に問い合わされて、て驚いた。
もともとワタシは、「どうして、不謹慎な口跡がある、あの業者なんだ?」とおもっていたくらいで。自分達が癒着しておいて、それを他人のセイにするというのが、木端役人の遣り口らしい。

「うちはいろいろあったので、特定の弟子や業者とは、深くはつながるな」というのが、親父の遺言です!と、いってやった。

とはいえ、見方によっては、「不謹慎」という概念も、「大事にする想いゆえの誤解」と思えば、怒る気持ちの勢いも弱くなるが。

漫画評論家みたいな大学教師の若いキュレーターが、親父レベルの問題にかかわってくると、親父の作品そのものを理解していないので、著作者人格権に関わるようなことを、平気な顔をして押し付けてくる。

これこそ不謹慎の極みなのだが、彼等は自分たちがしていることが「不謹慎」とは思っていないので、これまた厄介なことになる。
ひとつひとつ丁寧に説明しても、向こうも立場なのか、信念があるのか、単にガンコなだけなのか、他人の芸術に自分の価値観をおしつけて、なかなか引っ込まない。
最後はワタシは、著作権継承者の権利で、親父の芸を守るしかなくなってしまう。

なんにしても、モノを知らないというのは、いろいろと楽に怒れて、便利なようだ。


このニュースの本は、『葬儀屋と納棺師と特殊清掃員が語る不謹慎な話』とかで。

たまたま仕事でかかわった他人の死だからこそ、家族や当事者の文脈とは違った角度から、見みえてくる話なわけで。

偉い高僧に仕えた小僧が、師匠の高僧を、日常生活から見る見方で、「うちの師匠は、屁もするし、飯の食い方もだらしないから、たいしたことない、きたない老人」とバカにしてしまう古典落語があるが。

ちょっと設定が、あれに似ていると思って、面白かった。


何がいいたいかというと、熊本の地震のエピソードで、ネットで「不謹慎」が話題になっていたけど。

最近の「貧困バッシング」でもそうだけど、ネット社会では、ネトウヨに代表される、自分の狭い世界観だけで、感情反応で世の中を裁断するマンガ的単細胞生物が、最近はやたら増えてるらしい。

この短絡さは、川原で仲間を暴行して、「殺すつもりはなかった」とツブヤイている少年たちと、変わりがないわけで。

今日本をリードしている大臣たちの中でも、そうした資質のヒトが人気を得ているのだから、恐ろしい。


そうした少年たちをとりあげてコメントするモーニンショーのコメンテーターたちの思考回路が、まったく短絡的な感情反応であることに、自分で気づいていない夜郎自大さは、元々、瓦版や自由民権運動時代からの、マスコミの本質でもあるのだけれど。
「大衆文化=民主主義」という誤解のなかで、ますます増長されいくんだろうか?

こうした「不謹慎」などという、曖昧模糊としたことばを、自分の勝手な解釈でふりまわすのはさっぞかし気持ちの良いことなんだろう。
しかしそうしたレベルの低い、ネットに載るか?耳目を集めるか?という情報伝達基準で形成された情報共有幻想共同体の中で短絡に生きていくのが、これが情報社会の「新しい人間像」だとすると、マンガとしてはおもしろいが、実は「近未来社会の不幸」そのものなわけで。

ひょっとすると、新しいタイプのテロリズムとファシズムが生れているのかもしれないと、考えてしまっている。

1905年の日比谷焼打ち事件に代表される、庶民レベルでの戦争への傾斜と、結果としての日米世論の対立構造は、多くの教訓を今に残しているのだけど、最近はあまり話題にもなっていない。


ともかく40歳近い息子の、情報判断能力を聞いていると、大学でなにを学んだんだ?というくらい、中学生なみの処理能力で。
今時の大学や職場は、知識は教えても、人が生きるにあたってのモラルや信頼できる判断基準とかの情報処理は、教える人材が、いなくなっているのだろうか?と、不思議に思ってしまう。

まあ、これとても、痛い思いをして、自分で身につけていくしかないことなんだろうけど。

周囲の大人が、ガキばかりでは、モデルになる大人がいなすぎて。

ワタシは親父と違って、100万都市の世評と常識と、20年近く闘ってきた男なので。
付き合いの長い高校の同窓生の一人などは、伯父が市の教育委員会の幹部とか聴いていたが、自分がガンで亡くなる直前、ワタシを「ケシカラン男」と周囲に触れまわていたが。
子どものころから、臆病な男だったので、グズグズしてたことが原因で早期発見に失敗して、結果、死への怯えに震えたんだろうと、ワタシは取り合わなかった。
どっちにしても、彼に正論があるとしても、彼はだれの利益を代表しているかしらないが、それは彼の正論なわけで。
ワタシの判断基準は、最後まで未熟なままの親父ではあったが、職人仕事は努力した人なので。
その仕事を、公平に長く顕彰されれば、ありがたいだけで。

変わりモノと呼ばれることは、親父と違って怖くないので、これでは老い先き短いワタシなどは、老衰前に、死に急ぎたくなってしまう。


あまり世間では、気づいているヒトがいないが。

ワタシが親父を語るとき、「親父はこうだった」が中心で、「ワタシはこう思う」は、滅多に出てこない。

親子といえども、見えてないこともあるので。
勝手な息子の、解っているつもりでの推測や憶測は、それこそ不謹慎だろう。




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