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2016年08月29日23:34

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第31回:「制限速度120km/h へ引き上げ」の背景にあるもの(最終回)

http://www.webcg.net/articles/-/34834
の続きです。


矢貫 隆

1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。



第31回:「制限速度120km/h へ引き上げ」の背景にあるもの(最終回)
絶対の自信あり

http://www.webcg.net/articles/-/34914

以下、全文引用



【「スピードは悪」の時代】

「ややもすると取り締まりのための取り締まりになっている傾向があり……」

古屋圭司国家公安委員長(当時)が交通取り締まりのあり方について批判的とも受け取れる発言をしたのは2013年の6月。その後の経緯は省略するとして、あれが、結果として高速道路の制限速度の引き上げにつながった、と一般的には考えられているようで、それは確かに間違いではないと私も思うけれど、いや、話の根っこは、もっと深いところにある。

その昔、その昔とは例によって交通事故が多発していた時代のこと。正確に「いつから」とは言えないけれど、少なくとも私がもっぱら交通問題を書き続けていた時代(=『NAVI』誌が創刊された頃だから1980年代の初頭)のあたりである。

「交通事故が多発しているのは警察の責任だ」
「交通警察は何をやっているんだ!!」

世の中の誰もそんなことを言っていないのに、警察は「交通安全対策は警察に課せられた責務」みたいに肩に力が入りまくってた時代があった。

交通事故による死者数がピーク(1万6765人)に達した「交通戦争」の時代を交通安全施設の充実などで乗り越え、しかし、その施策が限界にくると、せっかく半減した交通事故死者数は、すぐにまた増加傾向に転じ「第2次交通戦争」の時代へと進んでいった。
政府の「非常事態宣言」がでるほど交通事故が多発し、総合的な交通安全対策の必要性が叫ばれたけれど、しかし、それが実行されないものだから、結果、警察が打ちだす対策だけ、要は、取り締まりと規制の強化が実施されていくことになる。

俺(=警察)が何とかしてみせる。

警察庁にしてみれば、そんな意気込みだったに違いない。

最近の交通違反取り締まり件数は700万件ほど(2014年)だが、『NAVI』が創刊された年(1984年)のそれは、近ごろの倍ほどにもなる1380万件。
シートベルトだけで自動車乗車中の死者数を減らすことなんて絶対にできないとわかっていながら(「自転車――改正道交法が語る“意味”」第15回、第16回参照)、それでも着用義務化したのも同時代のことだ。
飲酒運転、無免許運転と並んで速度超過が「交通三悪」と言われた時代である。「スピードは悪」の時代だった。
交通事故による死者数は1万1000人を突破していた。

あの頃の東北自動車道(制限速度が120km/hに引き上げられる予定の区間のこと)はどういう状況だったかといえば、今よりもずっと交通量は少なくて、もちろん当時から同区間の設計速度は120km/hだったのだから道路の安全性は今よりも高かった。けれど、時代が時代なだけに100km/h規制の(上方への)見直しなんてあるはずはなく、仮に、あの時代の国家公安委員長が「制限速度を見直そうと思う」と言ったとしても、絶対に絶対に絶対にそんなことは実現するわけない時代だった。

今は違う。状況は激変した。


【正体不明の何者か】

衝突安全に優れた自動車が登場するや、そこでやっとシートベルト着用の効果が発揮され自動車乗車中の事故死者が減少。ドクターヘリを含め救急医療体制の整備が格段に進み、あれやこれや、要するに、こんどは総合的な安全対策を講じることで第2次交通戦争の時代は収束していく。

ところが、なのだった。
その後は、特に画期的な安全対策が新たに登場したわけでもないのに、不思議なことに、交通事故死者数はどんどん大幅減を続ける。一時期、景気の低迷で物流の鈍化はあったにせよ、それだけでは説明がつかない事故減少傾向がずっと続くのだ。

何で?

理由はさっぱりわからない。何で数百人単位での減少傾向が続いているのか、誰ひとりとして合理的に説明できた人がいないのである。
そこで「正体不明の何者かの力が働いて減少傾向が続いている」と苦し紛れの説を唱えたのは、この私だった。

実は、さかのぼること10年ほど前、つまり、正体不明の力が大きく働いていた頃、高速道路の制限速度の引き上げについて検討されたことがある。事故死者数は6415人(2006年)、5796人(2007年)、5209人(2008年)と減少傾向を続けた時期、そのときの結論は「直ちに引き上げられる状況にはない」だった。
事故死者数は減り続け、この先も減少していくと考えられていた状況での「検討」だったにもかかわらず、それでも高速道路の制限速度の見直しは実現しなかったのだ。
そのわけは、推測だけれど、しかし、交通問題をずっと追いかけてきた私の、確かな裏づけがあるわけではないけれど、それでも自信満々の推測によれば、正体不明の何者かの力を信じきれなかったからだと思う。
今となってみれば、その判断(=信じないという判断)は正しかった。
事実、正体不明の何者かの力は、ここ数年、明らかに弱まっている。それは、事故死者数の減少傾向が小さくなっていることからも明らかだ。
というわけで、前回は実現しなかった制限速度の引き上げ。

ならば、なぜ今回は120km/hに引き上げられることになったのか!?

答えは簡単。
正体不明ではなく、身元が確かな安全対策が登場したからだ。
衝突被害軽減ブレーキに代表される運転支援システムを搭載した自動車の登場である。


【ちょうどいい機会】

第2次交通戦争の時代が終わってからこっち、次の有効な策が見当たらず手詰まり状態で“正体不明の何者かの力”頼りだった交通事故死者減。昨年(2015年)の事故死者は前年比4人増の4117人であり、3000人台を目前にして何者かの力に衰えが見え始め、ところが、そこに登場した運転支援システムは、衝突安全性に優れた自動車の普及のごとく劇的な効果を発揮するものではないにしても、確実な、一定の効果が期待できる“次の一手”だった。

警察は確信したに違いない。

交通事故死者数は、この先、確実に減少していく、と。
そう遠くない将来、間違いなく3000人台まで減少する、と。

そこに降って湧いた、古屋圭司国家公安委員長の冒頭の発言だった。
その時点で、警察庁は制限速度の引き上げを決断したはずなのだ。

ちょうどいい機会だ、と。

言い換えると、“確実な効果が期待できる次の一手”が現れていなかったら、いかに国家公安委員長の発言があろうと、今回もまた、制限速度の引き上げは間違いなく見送られたはずである。

制限速度の引き上げを決断した時点で、重大事故につながる、とか、高齢運転者や大型トラックの問題、速度差によって生じる危険等々(第29回参照)、一部からにせよ反対意見が寄せられることなんて警察庁は百も承知。それでも実施に踏み切ったのは、新東名と東北道の一部区間の制限速度を120km/hに引き上げても事故は増えないという自信があるからなのだ。しかも、それは絶対的な自信である。そうでなければ、石橋をたたいても渡らないくらい安全問題に慎重な警察庁が、制限速度の引き上げなんて認めるはずがない。

制限速度120km/hへの引き上げの背景。
肝は「交通安全」なのだ。
警察庁は、今もなお、交通安全対策は警察に課せられた責務と考えているということなのだ。

なぜ警察はそう考えるのかって?
その話は、また次の機会ということで。

(文=矢貫 隆)



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