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2016年08月26日09:00

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あの世ってソウルソサエティか。・・あの世と輪廻転生について考える。



超今更だけど、最近思うところあってブリーチを見てるんで、最近あの世の事を良く考える。
正直言ってブリーチ自体はあんまり私には面白くはないけど、修行だと思って見ている(何の?)


そういえば、長い事生きたので、身内や知り合い、私の尊敬していたアーティストやら知ってる名前の人がどんどん死んで行く。原発が爆発してから放射能汚染が進んでいるせいもあるだろうけど訃報も増えてる気がする。

自分もいつ召されるかわからない。と、思いながら5年過ぎた。着実に日々あの世への距離が縮まっている。


ブリーチの世界観はwikiによると

本作は死神が現世と霊界の均衡を保つ世界の調整者として魂魄の成仏や虚の退治を行う者として設定され、人間達が住む現世を守護している世界観が描かれている。また本作の世界として

現世(人々の生きている世界で空座町が主な舞台)
尸魂界(ソウル・ソサエティ)(天国にあたり、普段死神もここで暮らしている)
地獄(劇場版第4作『地獄篇』の舞台、生前重い罪(殺人など)を犯した者が送られる)
虚圏(ウェコムンド)(虚達が住む)


・・・

ってな感じになっているみたいだ。(適当に見てるので、あんまり実はまだ把握してない)


マンガの中の地獄と現世のイメージについて強烈だったのは、『真夜中の弥次さん喜多さん』とか『弥次喜多in DEEP』とかあの辺に頭がやられちゃったというか納得しちゃったってのがあって、アレを読んだことがある人の何パーセントが笑って読んだか知らんけど、アレは笑えない話だなあと未だに思ってる(本は引っ越しで売っちゃって手元にないから読み返せない)読んだことのない方は是非騙されたと思って読んで見て下さい。今現状は、アレより酷いことになってるけど、皆気づいてる?


マンガを振っておいて、あんまりたくさん読んでないしうろ覚えなのでこの辺にしておいて、私はある時期仏教にハマってた時期があって、まーハマったと言うよりは、仏教って何なのかとかお寺巡りをしたり写経したりとかそんな程度で仏教の何たるかみたいなものは良くわからないけど、お釈迦さまがそれを説いたかどうかは知らんけど、輪廻転生みたいな話がいつも出てくる。

生まれ変わりはあるとかないとか。
前世はどうたらこうたらとか。

前世歴史的有名な人物だった人がわんさか存在したりするわけだけど、馬鹿にして笑ってるけど、本当にそれが違うと言い切れるのか?という話もちょっと考えてみたいところではあるけど今回はやめにして、

私は世界の成り立ちとして、今この世界というか生きている断面みたいなのを考えたとき、死後の世界はあるのだ。ということを一生懸命議論するよりは、人間生きてる時、今の現状をもっと考えるべきではないかと思う。

人間の一生というのは、人に寄っては短いが、上手く生きれば100年近くあるわけで、0歳から100歳までのあいだ、一貫した私と言う人間が存在すると言う話になってるが、本当にそうだろうか?まぁ、運がイイ人は学校を上がって行って同じ職場に死ぬまでいて(それでも転勤とかあると思うけど・・ない人って割合少ないんじゃないの?)人間関係も変わって行ったり、時代環境変わって行ったり、食べることも考え方も変わっていくのが大方の歩みではないのかな?と思う。


細胞レベルで考えても、日々細胞は生まれ、細胞は死んで生まれ変わっている。

なんかそういうことに無頓着なまま、自分は死んだらどうなるのかな?とか生まれ変わりはあるのかなとかフワフワしてていいんだろうか?(いや、良くない)

と、私は考えているのだが、


人間と言う生き物は、どうもフワフワしないと生きていけない生き物なのではなかろうか。
と言うことを思う(もちろん、そんなフワフワじゃない人もいるけどね)。

最近、ちょっと絶望してるんだよね。




今生様々な物象の輪廻転生について考える


物象輪廻転生
http://mixi.jp/view_community.pl?id=6249381

トピ一覧(まださわりばっかりだけど、気づきがあれば幸い)
http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=6249381&type=bbs


死後の世界トピ(まだ調べたいんだけど、なかなか)からの記事。おススメ↓

葬儀屋さんのブログ。全部読んでないけど、なかなかためになります。

たまにはホノボノ。 「喉ちんこ」の正式名称は「口蓋垂(こうがいすい)」 - 【葬儀屋バカ一代】本と遺体とデジモノ暮らし http://sougi-soushiki.beauty-box.tokyo/entry/2015/07/09/193000



今、死体も相当汚染物質含まれてる(そもそも有害物質が含まれてるんだけど、火葬場のフィルターとか甘そうだけどどうなってんだ)みたいな話もある。

2011年私は関東にいたんだけど、墨田区で出会った人が言うには、原発事故があった後自分の体調も悪化して、こりゃー汚染されてるなと思ったけど、知り合いの人が死んでしまって火葬場に行ったらさらに体調悪化してたから、火葬場っていうのも恐ろしい。って話だった。


アンマリ呑気に考えない方がイイと思うよ。


画像は知ってる人は知ってると思うけど、ブリーチ。










死後の世界 「あの世」とはどういうものなのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4161190

死んだ後、人はどこへゆくのか──人類にとって「あの世」は常に興味・関心の的であり、宗教も、科学も、その問いに答えを出そうとしてきた。「あの世」について学ぶことで、生きることも、そして死ぬことも、きっと少しだけ楽になるからだ。

 実は「あの世」にまつわる言説の多くについても、取材を進めると「生きていく中での苦悩」や「死への恐怖」を和らげる意味を持つことがわかってきた。

 臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏によれば、日本人が「死」の概念を持つようになったのは、仏教伝来以降のことだという。

「『万葉集』や『古事記』などには『死ぬ』という言葉はなく、『避(さ)る』という言葉を使っています。“どこかに行く”というイメージで、『死』とはちょっと違うでしょう。6世紀半ばに仏教が火葬の風習とともに入ってきて初めて、“体が灰になる=死”という概念に触れたように思います。ポイントは、当初日本に伝来した仏教は、中国で『輪廻』の概念を外されたものだったことです」

「輪廻」は、死んでもこの世のどこかで次の生が始まるという概念だ。だから体を取っておく必要がなく、火葬しても構わないことになる。後に、輪廻の考え方も日本に伝わることになるが、当初は伝来の過程で輪廻という概念が外れ、火葬という形だけが残っていたという。つまり「次の生に対する保証が何もないのに、体は燃やされてしまう」(玄侑氏)ことになったのだ。

「このため、平安初期の説話集『日本霊異記』などを読むと、『頼むから9日間は燃やさないでくれ』とか『腐敗が進んで諦めがつくまでそのまま置いておいてくれ』という貴族がいっぱいいたんです。そういう状況下に、救世主のように現われたのが浄土教でした」(玄侑氏)

 浄土教では死ぬことは「往生」、すなわち浄土に「往って生きる」ことを意味する。

「この考えは、『万葉集』や『古事記』の『避る』という表現にピッタリと合う。『ああ、死んでも大丈夫なんだ』と人々が思ったことで、浄土教は燎原の火の勢いで広がっていったんです」(同前)

 死後どうなるかという“ビジョン”が人々を救ったという解説だ。さらに玄侑氏は「あの世」という表現が定着していることにも着目する。

「『あの世』という言葉は仏教用語ではありません。日本人にとっての死後の世界は、どうも“昔いた懐かしい場所”という感覚のようなんです。『あの世』といった時に、誰も『どの世?』とは聞かないでしょう? 『あ〜、あれね』という暗黙の了解が前提にある気がします。浄土教における浄土は“十万億土の彼方”といわれますが、日本人にとっては“身近な自然の奥のほう”というようなイメージが形づくられてきたのではないでしょうか」

※週刊ポスト2016年9月2日号








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