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2016年08月25日23:41

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宇多丸を見習って「ジュラシックワールド」を批評する

この映画のダメな部分は、ストーリーはあるが物語が無い事。そして胸糞悪い性格を持ったキャラクターが多い事。

定義付けはあまり好きじゃないがストーリーは「筋書き」、物語はその筋書きの中でキャラクターの人間的な心の変化や社会への問題提起やらを掘り下げるコンセプトと仮定する。

まず、主人公の兄弟2人。
兄は思春期真っ盛りの高校生、同年代の異性が気になって仕方なく、弟の事は特に気にして無い素振りだけど結構面倒見がいい。規則や大人からの意見にはあまり関心が無く、割りと自分勝手。

弟は恐竜に目が無い小学生。恐竜の事なら結構知ってるぜ的なその辺にいる様な子、兄貴の事は好きで聞き分けもいい。

その2人を引率するお姉さん。
仕事とはいえ、なぜか上司の甥っ子(兄弟)の面倒を見る事となったが乗り気では無い。兄弟が楽しんでいる間に彼氏か誰かに電話をして、その日のディナーのキャンセルをしていた。(この行為は特に問題無いと思われる)

そんなお姉さんの目を盗んで、別のアトラクションへ駆け出てしまう兄弟2人。

恐竜脱走につき、園内の警告にも従わない兄、立ち入り禁止区域も「面白いところ見せてやるよ」と言って弟をそそのかし進入する兄。

そこでデカい恐竜に出くわし九死に一生を得る。

一方その頃、恐竜脱走の二次災害では飛行可能な恐竜達が一般来場者に襲いかかる。

お姉さんも例外では無く、鳥型の恐竜とクジラ型の恐竜に殺される。

兄弟はその後、お姉さんの上司にあたる親戚の女と合流して避難する。

飼育委員のイケメンお兄さんの協力とTレックスにより結果、大暴れする恐竜を殺す。

最初、子供視点の成長が見られる要素や伏線は割とあった。いう事を聞かない兄と、弟という表現シーンは特にその後に更生する事も無く終わる。

自分たちが離れたせいでお姉さんと行動出来なかった。お姉さんは兄弟を必死で探し、見つけたかと思いきや恐竜に襲われた。この兄弟は、実際お姉さんが恐竜に連れ去られたところは目の当たりにしたが、死ぬ所を目撃するわけでもなければ死んだという事実も知らない。
本来、兄弟が身勝手な行動をしなければ一緒に避難できた可能性がある。しかし、ストーリー上そうならなかったのは意味があるものだと思っていたが、お姉さんは普通に死んで恐竜パニックの演出の一部として終了する。
お姉さんは、まさに死人に口を持たせ、一言二言をあてがっただけだった。

だから、結局のところこの兄弟は命が助かってよかった、怖かった…!という感想で終わる。
恐竜との戦闘を親戚の女の見ているパソコンから覗き込んで見ようとする素振りは、子供特有の「罪の意識の無い不謹慎的行動」であると思うけど、高校生の兄貴が弟と一緒になってそんな事してんじゃねぇよと思った。この兄弟が勝手な行動するから親戚の女は本来するべき仕事を投げ出して兄弟と一緒に行動している。
自分の身勝手な行動を顧みたりとか、人間はちっぽけな存在なんだとか、そんな事は一切見て取れない。
その後のストーリーでは最後まで完全に被害者側でいようとする。
まずそれが個人的にクソ。

それに、弟の恐竜大好き、恐竜の知識なら任せて!みたいな態度はストーリーで一切活躍する事なく、ただ恐竜好きだからジュラシックワールド来ましたという、全く必要の無い情報として置き去りになった。

次に、さっき話に出た兄弟の親戚の女、お姉さんの上司にあたる人物だ。

この女はジュラシックワールドの管理責任者であり、その園内の重要人物である。
しかし、管理運営にしか知識が無く恐竜に対しては大きな動物程度にしか思っていない。また、兄弟の子守を任されたが部下に押し付けて仕事をこなしている。別にそれはそれで良いと思う。そういう人物像を描きたかったのだろう。

しかし、恐竜が脱走した際に園の運営責任者でありながら兄弟の心配しかしていない。
もちろん親族を心配する気持ちが大きい事はわかる。しかし、現状に施策で対応するには度量も無く、ひたすら兄弟の安全に身を費やす。
実際、そういう演出なのだから別にここまでは問題無い。
さっき言った筋書きの中で鳥型の恐竜に対して現場で応戦?(たまたま飼育係のイケメンお兄さんのピンチを救っただけ)し、その際には超危険な屋外でお兄さんとキスをする。

いやお前仕事は放棄かよ。

兄弟の無事も確認し、さて仕事かと思いきや職場は混乱中。
もたもたしていたせいで変な対抗プランを実行するハメになり、それも失敗。
それでも、恐竜は別の恐竜達によって撃退。

一般人と同じ様に避難所で待機し、イケメンお兄さんには「これからどうすれば?」と質問を投げかけて、お兄さんもお兄さんで「これからは助け合うんだ」とよく分からない一言。で2人光へ向かって歩いていく。fin

は?
と思った。
女はジュラシックワールドの管理と意識がずさんであったが為に死人を何人も出した、その上現場では身内の事ばかり気にして本来の被害減少には後手後手になり、挙げ句の果てに一般の避難所でみんなと肩を並べて待機。
この責任について自分で考えようとせず信頼のおける男にどうすれば良いか聞く。
こいつも被害者ヅラ甚だしいな。

結局、そのキャラクターが自分の立場や自分のとった行動に対して大義があるわけでも無く、保身に走っても「助け合うんだ」で終わり。
キャラクターの考え方が変わるわけでも、なければ何の成長も無い。
じゃあ最初のキャラ紹介みたいなくだりは何だったんだよ、だったら恐竜達がひたすら人間を殺すシーン、恐竜同士が戦って子供達が「すげー」っねなって、結果「人間との共存を望む恐竜達もいるんだなぁ。僕たちも自然や動物に優しくしなきゃ」って子供達に変な先入観を植え付けるだけで良いじゃん。


この映画が何を言いたかったかという点では、失敗の因果は自分の都合で出来ているって事と、アメリカ人は災害やらいざという時には悪を見つけたら自分を棚に上げて被害者ヅラかまします。って事と、これからは助け合いですよ?こんな風に自分の都合で動くと沢山の人を死なせてしまうかもしれませんって事位しか伝わってこなかった。

映画を見て初めて腹がたった。
恥ずかしい人間がドヤ顔して被害者ヅラしてる様子なんか子供に見せるなよ。

進撃の巨人の方がまだ
「お前らの「好き」ってこんなに残酷で中身が無いんだぜ?」
という若者に向けた挑戦的な発信の方が共感できるわ。


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