出社直後に2020年東京オリンピックのプレゼンというタイミングだったが、今はyoutube等の文明の利器がある。
こういうプレゼンだとは思わなかった。椎名林檎が関わっているようだが、らしい。
正直、自分には1998年の長野オリンピックのイメージがある。
あんな感じで来るのかと思った。
NHKの「おかあさんといっしょ」みたいな開会式(相撲もあったが)。
日本だから、子供とか使ってお子様ランチ的に来るのかと思ったが、椎名林檎が関わってる以上、そうはならない・・新宿系というかアダルティなテイストを感じるものだった。
2016
少子化で日本人の絶滅が叫ばれる現代。
1998年のように(あの頃はまだそこまで「手遅れ」ではなかった)、子供を使って、平和で牧歌的で伝統的な日本をアピールするような、そういうショーはもうそぐわなくなってきている。間違いなく。
リオの閉会式での2020年東京オリンピックのプレゼンを観ることで、長野オリンピックとの落差を痛感するに至った。
今、長野オリンピックの開会式は、違和感しか感じない。
あれから、何もかもが変わった。
縄文時代へ向かう日本においてなお未来に向かう日本の未来世代は「天の配剤」でなければならないと思う。
神に選ばれた人間でないのなら、模索するしかないのかもしれない、「終末の過ごし方」(また懐かしいエロゲネタを・・)を。
おそらく、アキバ的、二次元クールジャパンコンテンツを使ったものになるだろう。我々には「オルタナティブ」がある。新都知事も東京をアニメランドにすると言っているし(乙女ロードもあるし)、2020年。1998年がジュラ紀であったかのような、「現代」を感じさせる大会になる・・そう「歴史学的な」意味で、期待している。
毎回のように書いてる怨念の件だが、同僚に飛び火したンゴ。
自分は、現時点の数日間は「神がそのレールを敷いたのだ!」というような場面には遭遇していない。俺は、このまま・・このままで・・。
代わりに同僚(というかマネージャーさん)が「神がそのレールを敷いたのだ!」というような不運に遭遇しまくっている。まぁ、そのマネージャーさんは、俺みたいに、それで自らの怨念を肥え太らせ、「瀬を早み・・」などとつぶやくようなタイプではなく、あっけらかんとした(深く考え思い悩まない)タイプのように見えるが・・。無関係者であっても、誰かにとりつき、陥れずにはいられない怨念の恐ろしさを痛感する。そう、『源氏物語』の「夕顔」の巻のように・・。
2020
我々はどこから来てどこへ行くのか
ログインしてコメントを確認・投稿する