【学会婦人部員の功徳話】
御書の一節も出てこないね。
センセ センセ〜 センセの奥様 笑 だって!
まさに鍛え上げた「池田教」以外の何物でもないわ。
離婚問題などは世間のどこにでもある。我々法華講員でもある。
しかし、我々の宿業・境涯の取り方は創価学会とはどうも、異なるようである。
「池田先生からの御伝言です。」
…
「お題目を送ります」
…
「お題目を送ります」
笑いが止まらん!笑
今や死にかけのタサクセンセが御伝言もへったくれもあるまいで。
こういうのを「ヤラセ」と世間では言うんだ。
=============================
今日は私の48歳の誕生日。
年女〜?(*^^*)?
毎年、誕生日は師匠のおられる総本部へ。
また、2012年4月2日の入信12周年記念日には
信心の母と慕う埼玉の高山さんと出逢い、毎月学会の記念日には総本部で会います。
信心の母との出逢い。
私の家族は信心しておりません。
また、元主人との離婚問題が2005年に起こりました。
主人は初恋の女性と恋に落ち、子供を身ごもりました。
そんなことが分かったのも、随分後からでした。
家裁にかけられ、嘘を突き通した主人。
毎日、婦人部の先輩が励ましてくれました。
法戦の闘いをと指導を受け、Fを900と闘いきりました。
私は主人を世界一、愛してました。
だから別れたくなくて、闘いました。
10時間題目も何度もあげました。
でも、主人との溝は深まるばかり。
いつしか死ぬことばかり考えていました。
そして、主人の牙城会のネクタイで死のうと思った矢先、1本の電話がなりました。
学会本部からでした。
毎月のように、学会の婦人部の先輩が学会本部に連れて行ってくださり、池田先生に手紙を出していました。
本部の方より、
「池田先生からの御伝言です。」
…
「お題目を送ります」
…
「お題目を送ります」
と。
信心5年目。
池田先生の凄さはまだ分かっていませんでしたが、私は電話を切った途端、泣き崩れていました。
主人との離婚問題はまだ続きました。
主人から脅迫を受けていました。
宿命転換の近道と、毎日聖教新聞の配達を泣きながらしていました。
そして、ある晴れた朝。
新聞配達を終えて、澄みきった青空を眺めていたら、ふつふつと仏の生命が湧き起こってきました。
主人に感謝することができ、離婚を決意したのです。
主人が女性の元へ行く日、私は笑顔で荷造りを手伝うことができました。
それは、祈ったのです。
「最高の別れをさせて下さい」と。
そして、そのように別れることができ、泣きながら御本尊様に感謝の題目をあげました。
世界一、愛してた主人との離婚は
2006年2月27日。
離婚して1年後、学会本部に行きました。
接遇の方に報告をすると、涙を浮かべられ、
「1年、よく頑張ってこられましたね。
2月27日は何の日かご存知ですか?
池田先生の奥様のお誕生日なんですよ。
必ず、幸せになります。」
と励まして下さいました。
そんなことがあり、離婚した後も毎日のように泣いて暮らしました。
そんな中、高山さんという信心の母に出会ったのです。
長くなりましたが、主人を無くしましたが、私には池田先生や学会の皆さん、また信心の母と慕う高山さんと出会えたことに、最大の功徳を得たと思えたのです。
最近、思います。
主人だっから、こんなに苦しんだと。
願兼於業…。
私はそうなることを願い、宿命を転換していくことで、信心の実証を示していく使命があると。
だから、主人に感謝です。
=============================
コメント↓が振るっていて面白い! これも「池田教」だ〜!ワロタ
「池田先生、奥様が、見守っています。頑張って下さい。」
ログインしてコメントを確認・投稿する