この文章が何言ってんのか全くわからないというのは置いといて。
「世の中金がすべてなのか」というのは、金自体が実在であるという前提にあるならノー。金自体が実在でなく、尺度であるという前提ならイエスである。
金は、金としては存在できない。
「なにか」があり、それを他のものと比べる必要がある時に機能する。
「お金よりも健康が欲しい」というのは、金と健康が同時に実在であるという前提に立っているから「金があっても健康が手に入らないなら金などいらない」となる。
しかし、本当は
「健康を手に入れるのに1億円」
「贅沢三昧するのに1億円」
「あなたはどっちに『価値』を見出す?」
という比較にならなくてはいけない。
「健康」と比べるのは「贅沢三昧」であって、金ではないのだ。
金があっても健康は手に入らない、という嘆きは、こういう議論の時に意味をなさない。
いくら金があっても、今の所、空の星は手に入らないし、1日に1トンの米は食えない。
「可能・不可能」と「価値のある無し」は別のベクトルで語られなければならないのである。
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■「世の中、金こそすべて」←この主張に反論できる?
(Jタウンネット - 08月21日 17:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=4153589
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