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2016年08月18日01:09

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街に愛された仙台四朗に代表される、

『障害者殺しの思想』から考える、植松聖容疑者が主張する「正義」とマスコミが助長した障害者差別の歴史
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=53&from=diary&id=4128071
障がい者とともに生きる優しさ気遣いが、商売の繁栄につながるという知恵が、むかしはありました。

障がい者が生き辛い社会は、自称「健常者」も生き辛い社会なんです。


むかし近所の障がいのある子どもたちと、時々遊ぶ機会がありました。

こうした子どもたちから、実に多くの豊かな感覚をひろげてもらいました。

ある子は、ときどきピアノの鍵盤を、バーンとたたくのですが。
そのタイミングが、初めわからなかったのですが。
しばし観察していると、その子は風の音に耳をすませていて。
あるタイミングで、風と合奏していることがわかりました。

途端に、その子のピアノは、周囲の空気の流れと、見事に調和してきたのです。

ポリネシアの人々は、島の高台で、いろいろな風や潮の流れを見極めるとか。

古代のポリネシア人は、そうした感覚と知恵を使って、島々に広がったといわれてます。

で、その子は、半年あわなくとも、道で会えば、声を上げて、呼びかけてくれました。

心が通じあえる仲間というのは、いつでもうれしいものです。


また近所の主婦で、健常な自分の子どもを連れて、われわれの遊びに参加しにくるヒトがいました。


一方、「自分の特技で、お手伝いしたい」という方も、大勢きましたが、歯車が合わないことが多く、災害支援と同じで、ボランティアを支えるボランティアが必要でした。

一日の行動半径が数十cmの障がいをもつ子どもと、共に生きる家族の心労は、外部からはうかがい知ることもできませんが。

最近は、老々介護の疲れで、事件が起きるくらい、いろいろ社会は生きづらくなっているようです。

ワタシも今71歳。
もうすぐ介護が必要になってくる年齢です。

「愛される老人」にならないと、革命精神で、抹殺されるのかなあ。







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