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2016年08月12日05:32

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自立した人生3。無視され続けたガンの自然退縮にみる「病気を治せるのは自分だけだ」という真実と言葉の重要性

http://oka-jp.seesaa.net/s/article/423748470.html

ルドルフ・シュタイナー『いかにして高次の世界を認識するか』
「神秘学の訓練のための条件」より

第1の条件は、「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」というものです。

確かに私たちは、はじめのうちは、みずからの健康状態を自分で決定することはできないかもしれません。しかし誰でも体と霊の健康を促進するように努めることは可能です。

健全な認識は健全な人間のなかからのみ、生じます。健康でないからという理由で、ある人が神秘学の訓練から排除されることはありません。しかし神秘学の訓練では、学徒は、少なくとも健全に生活する意志をもつように求められるのです。

私たちは、自分自身の体と霊の健康を促進するという点において、可能な限り自立しなくてはなりません。


上のシュタイナーの言葉の中に、

> みずからの健康状態を自分で決定する

とあります。

先日の、

・ガンから復帰した坂本龍一さんを始めとする賢人たちが表明する「ガンへの感謝」を見て、何でもかんでも感謝してみる試みを実践しようかと
http://oka-jp.seesaa.net/s/article/423573955.html
 2015年08月04日

という記事で、川竹文夫さんという方が書かれた『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という、ガンの自然退縮について調べられた本があることをご紹介したのですが、その時はまだ読んでいませんでした。

その後、古本で見つけまして、パラパラと読んでいましたら、この本は大変に素晴らしい内容であると共に、先ほどの「みずからの健康状態を自分で決定する」ということが、たとえば日々の具体的な生活の中でどういうことかも知ることができます。

その一方で、「日本のガン治療シーンを覆い尽くす暗いシステム」のことにも気づかざるを得ません。




無視され続ける「ガンの自然退縮」例

どういうことかといいますと、まず、この『幸せはガンがくれた ― 心が治した12人の記録』という著作の第一版は 1995年に出版されていた、つまり今から 20年前です。

さらに、この川竹文夫さんという方の著者経歴を抜粋しますと、


1946年、徳島県生まれ。NHK 文化番組部を経て、現職。1990年、腎臓ガンを発病。その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始める。

1993年、NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』を制作。

自らの心の力によって絶望から生還し、真の健康と新しい人生を築いたガン患者たちの喜びに満ちた証言は、多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。


となっています。

「現職」というのは、現在やってらっしゃるガン治療に関しての NPO の代表の職のことですが、

> 多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。

という番組は、今は多分見ることはできません。

この NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』は、1993年に放映されたものらしいですので、一応、NHK アーカイブで検索してみましたが、まあ、ないです。


・NHK アーカイブ

「存在しないもの」とされているようです。

先ほど書きました「暗いシステム」というのは以下の現実と関係するようなことです・・・。


・この著者は NHK の番組制作職員だった
・番組は「ガンの自然退縮の事実を描いた」番組だった
・そして、実際に、その NHK で作られた「ガンの自然退縮」の番組はガン患者たちの希望となっていた
・NHK の番組は苦しんでいる人たちに「何らかの啓蒙」を促す役割があってほしい・・・
・けれど、この番組から「20年」経ち、この世のガン治療は、さらに三大療法が主流となり、そして、その結果の下のようなガンの死者数。


・厚生労働省 人口動態統計


ということになっているのです。

「メディア」とは一体何か、と、ふと思います。

いや別に、この番組自体が取り上げられることはなくとも、他の番組でもいいのですが、「現実にガンの自然退縮」の人たちは数多くいるのに、なぜ、それをメジャーメディアは封殺するような態度で臨んでいるのか。

そして、いまだに一般人も著名人も含めて、三大療法で次々とガンで亡くなっている人が増えていることは事実なのに、少しも顧みられないのはなぜなのか。

「何だか、ガンの自然退縮の話題ってまるで《放送タブー》みたいなもんじゃないか」

と思います。

しかし、現実としては、ガンの自然退縮は、その 20年以上前から、なんら特別なことではなかったことが当時のアメリカの心理学者の研究でわかります。

これも、『幸せはガンがくれた』の中にある記述です。


川竹文夫『幸せはガンがくれた』より

自然退縮の400人

アメリカの著名な心理学者エルマー・グリーンは、ほかの二人の学者が医学文献の中から集めた4百例の自然退縮を分析、その生還に共通する要素を探り当てようとした。

結果はどうであったか……。

「全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。ある人は、人参ジュースが、ガンを殺すと思い続けていましたし、ある人は、グレープフルーツジュースが、また別な人は、高山での生活が、ガンを殺してくれると信じていたんです」

「4千個のパンが、ガンを殺すと信じた人もいます。もちろん、4千個のパンに、ガンを殺す力はありませんがね。しかし、もしあなたが、心からそう信じることができるなら、きっと、そうなるに違いありません。パンでガンを殺すことができるのです」

「深く信じる心は、脳の中の視床下部を通じて免疫機能を左右し、高めます。病気に対する態度を変え、心を変え、感情を変えるなら、身体の免疫システムは、必ずそれに反応するのです」

「いいですか……。4百人が、それぞれに試みた方法は、実に様々でした。結局、一番大切なことは、どんな方法を試みるかということよりも、何かをどこまで信じられるかということなんです。信仰で治ることがあるのも、そのためなのです」

ガンはまさに、心の病。心で治すものだと言うのである。


それぞれの方法についてはともかく、当時、アメリカには、400例などの自然退縮のデータベースが存在していたことがわかります。

しかし、これらの例は、アメリカ医学界でどのように扱われていたかというと、アメリカの医学博士ケリー・ターナーさんの『がんが自然に治る生き方』を紹介しているプレジデントの記事の冒頭に以下のようにあります。

「寛解」は、この場合、「自然退縮」と同義でも構わないと思います。


「治った」人の1000件以上の医学論文

寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、2種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。

一つは、劇的に寛解した患者本人の一群です。大多数の論文では、患者自身が劇的な寛解の原因をどう考えているかについて一切言及していませんでした。(略)

医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。

がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。

それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。


ということで、つまり、おそらく数千などにのぼると思われる「自然退縮の例」は、

「なかったこと」

にされたまま今に至ります。

今の日本の医学界もそうだと思います。

そして、日本で 20年以上も前に、NHK で(3回連続)放映された後、果たして新聞でもテレビでも、メジャーメディアが本気でそのことに取り組んできたことがあったでしょうか。

もう少し、すべてにおいて、何というか「良心」のメカニズムが働いていれば、何かがすこしはちがったような気はするのです。


しかし、一方で、これからの地球を生きる私たちはそんな過去のことにとらわれていては仕方ないです。


これまでの 20年が同じだったのなら「今後も同じ」と考えて、つまり、

「自分から積極的に智惠を掴み取らないと、流される」

というようなことになるのかもしれません。
少なくとも、ガンや病気に関しては。


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積極的心理状態の壮絶な効果

冒頭のシュタイナーの言葉には、

> 可能な限り自立しなくてはなりません。

と、「自立」とありますが、その後に「しなければなりません」とあるように、こういうこともボーッと、ぼんやりしていては流されます。

先日の記事で、「自分戦争」などという言葉を使いましたが、私だけではなく、誰でも必要なことだと思います。

自分の中にある「無知をよしとする要素」とは戦わなければならないと思います。

「戦う」というのは、積極性の極地でもあります。

たとえば、1985年に医学誌『ランセット』に、ロンドン王立大学病院のふたりの医師によって発表された論文に以下のグラフがあります。

ガン告知を受けた乳ガン患者の、その際の「それぞれの心理的反応」と、その後の 13年間の生存率を示したものです。


・『幸せはガンがくれた』


この研究では、ガン患者の心理的反応を下の4つのグループにわけています。


1. 告知後、ガンと徹底的に闘う気持ちを持ち続けた人たちのグループ
2. 事実がどうであれ、あくまで自分はガンではないと思い込んでいる人たち
3. 自分がガンになったという事実を仕方なく受け入れているが、なんら積極的な態度をとらない人たち
4. ガンになったという事実に対して、無力感に陥り、絶望してしまった人たち


わりと明らかな生存率のちがいが出ていることがわかりますが、しかし、ここで考えたいのは、「闘う」という、日本語的な意味のニュアンスのほうではなく、さきほどのアメリカの心理学者の研究での結論である、

> 全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。

という言葉や、あと、ケリー・ターナー博士は、

> 治療法は自分で決める

とあったように、「闘う」というより、「病気に積極的に関わる」ということが大事なのだと思います。

医者の言いなりとか、そういうような「受身」にならない。

あるいは「考えない」というのも良くないと思います。

それが、放射線治療であれ、人参ジュースであれ、サプリメントであれ、音楽療法であれ、4千個のパンでガンを殺すとかいう、どうにもよくわからない治療法にしろ、治っている人たちは「治ることを確信している」ということです。

ところが、今の医療では、患者は医者から、「〇〇治療を受けないと、大変なことになりますよ」と脅され、自然と患者は、

> 無力感に陥り、絶望してしまう

ということになっている場合が多いのではないでしょうか。
この時点で、生存率がグッと下がるのは、先ほどのグラフにある通りです。

そして、そういうように意志が弱くなっている中で、

治療法を医者に丸投げしてしまう

ということで漫然と抗ガン剤を飲まされ、漫然と放射線治療を受ける。

これでは治らないと思います。

とにかく、ガンに限りませんが、「1にも2にも希望・肯定的・積極的」ということがどれだけ大事かということについて、先ほどの『幸せはガンがくれた』から、ひとつエピソードをご紹介したいと思います。

この話は、「ことば」の重要性を示しています。




台湾の荘博士の奇跡的な言葉

取材時に 78歳だった坂本やす子さんという方は、その 40年前の三十代の時にガンと宣告されたのですが、その後、ガンが自然退縮して 40年が経っています。

この坂本さんという方はいろいろと苦労した方のようで、病院では手術を勧められたのですが、経済的に手術や病院の治療は無理で、もうほとんど諦めて、毎日、自暴自棄になって生きていたのだそう。

ある日、荘淑キ(実際は漢字です)という、台湾で有名な若き女性医学者が東京で健康診断を行うことを新聞で知ります。しかし、坂本さんにはお金はなく、「とにかく頼むしかない」と荘博士のところに行くと、診察してもらえたのだそうです。

坂本さんご本人による、その時の感想です。


『幸せはガンがくれた』より

「『治りますよ』って言うんですよ。きれいな女の先生が、私の目の前で『治りますよ』って言うでしょ。もう、その時の言葉のありがたいことと言ったら、もうそこで救われた感じがしたわね、私は」

「『先生、私の病気治りますか』って、聞いたら、『治りますよ』ってね、また優しく言うんだね。それで、じき先生はアメリカに行かなければならないっておっしゃったの。それで、『先生がアメリカに行く前に、私の病気治りますかしら』と言ったら、また『治りますよ』って、優しい顔で微笑んでくださって、もう本当に嬉しくて……」

「あの荘先生の優しい眼差しというものは、病めるもの、心の病めるものには、ほんっとうっに、救いだったね。救いそのものだった」

「優しい言葉でもって『治りますよ』って言われた時には、ここでしか自分は救われないという気持ちだったね」

「あの一言で治ったんだね。あの一言で、もう、治るーって思っちゃったのね。先生の言うことさえ聞いていりゃ絶対治るーって、信じた」


それで本当にガンは治っちゃったそうです。

何だか妙に私はこのくだりに感動してしまいました。

この坂本さんの場合は、「治療法への確信ではなく」、荘博士の「言葉」とご本人への絶対的な信頼感、そして何よりも「治りますよ」というストレートに肯定的な言葉も良かったのだと思います。

この点において、坂本さんに「治ると確信させた」ようです。

著作の中では、その荘博士にもインタビューしていますが、なんと、荘博士、40年前の日本での出来事も、坂本さんの名前もおぼえていました。


荘博士の言葉

「ガンは別に恐いものではないのです。自分で作ったものなのですから、自分で治せます。そうでしょ。それが、自然治癒力というものですね。ですから、ガンを作りたくないと決心すれば治ります」

「坂本さんには、そういうことを話したと思います。ただね、その頃は私、日本語があまりできませんでしたので、細かいことを言うよりも ”治りますよ” と言ってました」


ちなみに、これらのこと(荘先生が言葉で坂本さんを治した)のは今から 60年くらい前の話ですよ。

なんだか、すべてが良いほうに転がっている。「日本語があまりできない」というのも、この場合、良い方に転んでしまっています。

「この荘さんってのは、ただ者ではないのでは」

と思い、調べますと、台湾では大変に有名な方のようで、検索しますと、数多くヒットします。



・無齢的養生智惠


「ご健在なんだろうか」

と、台湾の Wikipedia を見ますと、今年 2015年2月4日に、96歳で亡くなられたようです。

そして、私は Wikipedia での、彼女の「最期」にショックを受けたのでした。




2015年2月4日、荘淑キは、台湾の桃園市 龍潭区で昼食を食べた後、椅子に座って休憩していた時に、突然、息が止まり、安らかに死去した。享年 96歳。


どうやら、荘さんは普通に暮らしている中で「スッと消えるように亡くなった」ようなんです。

なんという理想的な最期・・・。

「これぞ健康に生きて健康に死ぬという、人類の手本みたいな生き方だ」

と、やや感嘆していましたが、この方は、日本との関わりも強い方のようで、下のような女性自身の記事がありました。見出しの「女医」というのが、荘さんです。


美智子さま “交流33年” 女医が明かす「極秘相談」
女性自身 2011.12.27

「美智子さまの女官から母にお手紙をいただいたのは、震災の直後でした。手紙には美智子さまのご体調のことが綴られていたのです。膝のお痛みや、手のしびれなどを切々と訴えられていたそうで……」

そう語るのは、荘安子さん。 美智子さまと長年の交流がある台湾の女性医師・荘淑キ(そう しゅくき)さんのお嬢さんだ。震災直後の3月、荘淑キさんのもとに、美智子さまの体調改善のアドバイスを求める手紙が送られてきたという。

美智子さまと荘淑キさんの交流は33年前にさかのぼる。’78年、皇太子妃だった美智子さまが、荘さんを東宮御所に呼ばれたのだ。

当時、健康を損なわれ、体重が激減していた美智子さまは、荘さんの著書も読まれ、彼女に助言を求められた。

さらに‘93年に美智子さまが失声症になられたときにも御所から連絡があり、荘さんはすぐに駆けつけ、ストレス軽減の方法を提案している。


というように、美智子さまの健康をも長く受け持たれていたそう。

うーん・・・いろんな人がいますねえ。

私自身は、そういう医学者等に出会ったことはないですが、ガンの自然退縮を経験した人、あるいは荘さんのような優れた人など「そういう人が現実にいた」というだけで、何と生きることに希望が出ることか。
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