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2016年08月11日00:24

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裁判とは

大阪小6焼死 なぜ冤罪見抜けず
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4136913





ここまで複雑な裁判ともなれば、もはや一般人の我々には事実に迫ることは極めて困難である。

とすれば、印象以外に元被告人達を評価する根拠がないことになる。

また、所詮裁判は証拠が全てであり、その証拠をもとに数ある真実の中から法的・理論的に最も客観性のあるものが「客観的事実」として認定される儀式に過ぎない。

つまり、犯罪行為の瞬間を収めた映像等でもない限り、その判決が真の事実(本当に起こったこと)を正確に捉えているかは分からない。

その意味においては真の事実と証拠から導き出される客観的事実が必ずしも一致するとは限らない。

つまり、裁判の判決において本当に起こった事実を導き出すことは必ずしも必要ではないということだ。

だから、冤罪や限りなくクロに近い無罪が起こりうるのだ。

結局のところ被害者は亡くなってしまっているから「死人に口なし」であり、そうなるともう一方の当事者とされる両親のみが事実を知っているということになる。

その両親の証言やその他の物的・状況証拠から見て最終的に無罪判決が確定したとなれば、どんなに両親が疑わしくとも・どんなに状況証拠がクロであろうとも、確定判決を信用し、それを前提に扱わざるを得ない。

亡くなられた被害者にとって満足のいく結果であったかどうかは永遠に分からないが、少なくとも「被害者が亡くなった」という動かぬ事実、「被害者の両親は無罪である」という客観的事実を基にすれば、この両親をクロと看做して扱うことは妥当ではないだろう。
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