今日は、長崎の原爆記念日。
原爆記念日なんて変な表現だと自分は思う。
だからと言って被爆記念日も可笑しかろう。
母の姉は被ばくした父親を、リヤカーに乗せて諫早の疎開している家まで
運んで来たと聞く。
その頃、まだ訳のわからぬ小さな私の母親は被爆した父親の傍で
遊んでいたらしい。
放射能があるとか分からないで父親の傍にいれば2次被爆も
あり得ただろう。
たぶん、みんな2次被爆してたと自分は考える。
祖母も伯母も伯父もみんな被爆してたんだろうな。
その後、祖父は数日後に亡くなったと聞く。
伯母は原爆体験した体験を語りたがらなかった。
なぜなら、祖父を探しみつけて家まで運ぶ途中の地獄絵図は、
語れば思い出してしまう忌まわしい記憶だったのだろうと私は考える。
でも、忌まわしい記憶であろうが、こういったありしき日の事は語り継いで
いかなければいけないんでしょうね。
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