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2016年08月04日07:14

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安倍首相の、もう一人の祖父

安倍首相の母方の祖父は、交戦家の岸信介

父方の祖父は、安倍寛。
戦争一色のなか、一貫して反戦、平和を訴え続けた政治家と言われています。

安倍首相は、
相反する思想をもつ方々の孫なのですね。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/安倍寛

経歴

山口県大津郡日置村蔵小田(現・長門市油谷蔵小田[注 1])に安倍彪助・タメの長男として生まれる。4歳までに両親が相次いで死去したため、伯母のヨシに育てられる[1]。父・彪助は郡内で名門として知られる椋木(むくのき)家からの婿養子であり、母・タメは安倍家の“中興の祖”となった安倍慎太郎の妹である[2]。

金沢の旧制第四高等学校を経て、1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する[3]。帝大卒業後は東京で自転車製造会社を経営していたが、1923年(大正12年)の関東大震災で工場が壊滅し、会社は倒産してしまう[4]。東京に移ったのちに本堂静子と結婚し長男晋太郎を儲けるが、直後に離婚し以降は独身で暮らした[3]。その後、「金権腐敗打破」を叫んで1928年(昭和3年)の総選挙に立憲政友会公認で立候補するも落選した[5]。

1933年(昭和8年)に日置村村長に就任し没するまで務めた[3]。その後、山口県議会議員兼務などを経て、1937年(昭和12年)の総選挙にて無所属で立候補し、衆議院議員に初当選した[3][6]。

支那事変中は1938年(昭和13年)の第一次近衛声明に反対し[7]、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)の翼賛選挙に際しても東條英機らの軍閥主義を鋭く批判、無所属・非推薦で出馬するという不利な立場であったが、最下位ながらも2期連続となる当選を果たした[7]。議員在職中は三木武夫と共同で国政研究会を創設し、塩野季彦を囲む木曜会に参加して東条内閣退陣要求、戦争反対、戦争終結などを主張した[3]。戦後、日本進歩党に加入し1946年(昭和21年)4月の総選挙に向けて準備していたが、直前に心臓麻痺で急死した[3][7]。


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