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2016年07月23日01:38

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長崎大水害

35年前の1982年7月23日、長崎は大水害でした。その日の夕方、新校舎(現泉町校舎)の設計について職員会議が紛糾。大雨の中、セリカで油木の学校を出たのが午後6:30。公会堂よこの自宅に帰る途中、長崎駅前が道路冠水。愛車茶色セリカがエンスト。やっとのことでエンジンがかかり脱出。今度はブレーキに水が入り効かず、急発進急停車を繰り返し、ブレーキを乾かしました。自宅でやれやれと思っていたら停電。ローソクに火をともすと二歳の娘が、いきなり♪「ハッピーバースデーツユー」。一同爆笑。大雨の中、浜の町のジャズ喫茶BUN BUNのママ、つまり母に電話が通じました。「ここは二階やけん大丈夫。階段に水があがってきて下りられん。こっちに泊まるけんよかよ。」。それでも心配で徒歩で公会堂前から中央橋へ。だんだん水かさが増えてひざから腰へ。賑橋の手前でロープを肩から抱えた消防団員2人。「どちらに行かるっとですかぁあ!」。「浜屋デパートのとこまででーす!」「むりむり!無理ですばい。もーこんげんやっけん。」と右腕を高く上げられました。ターンし今度は市民会館から中通りへのルートをめざしました。市民会館の裏へ出ると、NHKの中継車のサーチライトが中島川の激流を映し出していましたが、橋が見えません。梅雨末期、連日の雨の警報警報に危機感麻痺。西日本各地で日降水量が100mmを超える大雨のため地盤も危機感と共に緩んでいました。斜面都市長崎市は「水害」の名とは裏腹に土砂災害による犠牲が溺死者を大きく上回り、死者・行方不明者の88%が土石流や崖崩れでした。排水能力を超えた時間雨量50ミリ前後の集中豪雨です。長崎市の隣、西彼杵郡長与町では1時間に187mmの雨量。日本における時間雨量の歴代最高記録はまだ破れていません。降水量1時間1mmとは、直立した人の上(50cm x 50cm)に1時間で500mℓの雨水が降る量です。舌のような形状で暖かく湿った空気が流入する湿舌現象状態の発生で、一日の雨量は6月の雨量に匹敵しました。停電が重なり住民の避難が鈍っていたところに冠水。車やバス、電車の立ち往生、橋梁流失や土砂災害による交通寸断のためなすすべがありません。通信は寸断され行政当局に救助を求める通報すらままならず、行政側も救援思うに任せず被害は拡大しました。長崎市内では中島川、浦上川、八郎川、西彼杵半島では雪浦川などの各河川が氾濫、市の動脈国道34号が寸断されライフライン寸断。床上床下浸水、家屋倒壊、重要文化財の眼鏡橋崩壊。被害総額3000億円、死者・行方不明者は299名。市民同士の心温まる救出、助け合いの逸話も数多く残りました。近くの公民館のカーテンをつなぎバスの窓から歩道橋への脱出劇。買ったばかりの新車からどうしても離れきらず流されて亡くなった方。近所の市民会館地下駐車場にも大量の水が流れ込み全車、プカプカ。後日引き出された車の中で唯一エンジンがかかったのがヒットラーが作ったフォルクス・ワーゲンでした。夕方の長崎駅前のパチンコ屋のNHKのニュース映像に、浸水のために役人があぐらをくんでパチンコしながらまさかのカメラ視線。時間が時間だったために問題になりました。西口甲子園監督は銅座で8時間、電柱にしがみついて難をのがれました。当時の本島市長は愛人宅にいたため後日、写真入りで週刊誌に刺されました。その年の長崎市民美術展で生徒が描いたこの長崎水害をテーマにした作品が市長賞受賞。夏の甲子園県大会、長崎商業小林投手は決勝戦で香田投手擁する佐世保工業に9回ツーアウトからのさよなら逆転負け。それから5年後、中島投手を擁して8度目の甲子園に出場し、昨年は本田投手で9度目の甲子園に出場しました。

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