トイレとは、文明の完成における最後の仕上げではなかろうか。
人は何でも食べられる訳ではないから、
食べられる物の確保は生きるためには不可欠だ。
人はいかな暑さ寒さにも耐えられる訳ではないから、
暑さ寒さや雨露を凌ぐ衣類や住居は不可欠だ。
しかし排泄は、これも生きるに不可欠ながら、
場所については、最悪どこでもいい。
野糞でも何でも、ことは足る。
ところで文明とは、物質的にも精神的にも豊かである状態を言うのだそうだ。
上記のように、人の生活には一定以上の機能を備えた衣食住が不可欠だ。
ゆえにこれがある程度遍く行き渡るまでは、
その社会は豊かとは言えまい。
その点排泄は場所を選ばずとも可能で、
可能でありさえすれば生きられる分、
豊かさを規定する最低限の条件ではない。
しかし健康を保つ上では清潔を保つことは重要で、
様々な病原体の感染源たりうる排泄物から適切に人体を切り離すことは、
さらに豊かな生活を送る上で大変重要な鍵となる。
これは、入浴も同様。
つまり入浴、排泄の環境を整備しようという行動は、
衣食住の確保ができた状態で、
さらなる豊かさを確保する行動と見ることができよう。
世には趣味を豊かさの指標と為す向きもあるようだが、
趣味は人それぞれだし、ない人もいる。
しかし排泄はしない人などいないし、
保清も不可欠ではないもののそれに近い。
ゆえに、生存に不可欠な最優先事項たる衣食住の確保ができた段階で、
人々が求めずにはおかない入浴と排泄との安らぎ。
その完成を以て豊かさの、言い換えると文明の完成と見るのが適切ではあるまいか。
だから私は願う。
この国のトイレが世界に冠たる究極の安らぎであることを。
我々日本人が、何一つ足らざるもののない充足した雪隠ライフを満喫できることを。
トイレは豊かさ、トイレは文明。
いずれは世界のトイレをすべて完璧な安らぎの場にしたいのだが、
残念ながらその夢が叶うまでの道は遠すぎる。
そこでまずはせめて我が日本の皆様だけでも、
満ち足りた排泄をいつでも催した時に享受できるよう、
国や地方自治体を運用する方々には気張って頂きたい。
何卒宜しくお願い申し上げる。
なんてね。
トイレと聞いてつい発奮してしまった。
■長野など観光県で「きれいな公衆トイレで誘客」作戦 汚いイメージ一掃へ
(THE PAGE - 07月16日 19:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=4097099
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