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2016年07月08日19:23

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江戸時代の東海道食べ歩記(小田原)

今回は箱根を下り江戸に向かう旅。小田原の宿です。北条早雲にはじまる
北条五代の城下町として聞こえるが、江戸時期には城主が変わって大久保
氏の治めるところだ。
 北条氏の時代からこの地には工商の民が移住して、東海道の西は板橋か
ら、東は一色まで、一里(約4キロ)に余るほど焦点が軒を連ねて、毎日市が
立った。
 山海の珍物、細工の品から舶来品まで、おびただしい商品が運びこまれ、
その交易の利潤は京や堺を上回るほどだったとか。ここは海が近く船の便
も自由だったので、諸国から人や物が集まったのだろう。
フォト


 小田原名物といえば小田原提灯、透頂香(仁丹のような薬、外郎とも)、粕漬の梅、
鰹のたたき、と四つがある。
フォト

右側の絵の黒い暖簾がかかるのが「平戸屋」である。ここで売っていたのが名物の
粕漬けの梅で、店先に並ぶ縄を蒔いた小さい樽がそのいれものだろう。
鰹はというと、左の図中央にいる、縞の着物の商人が天秤棒を担いでいる篭の中に
そのしっぽがのぞいている。昔からこのあたりの海では鰹が釣れた

現在歯、小田原と言えば、蒲鉾が名産品になりました。江戸時代にはまだ作られて
いませんでした。。
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